ニッケイ新聞 2010年8月27日付け
所在不明の〝消えた高 齢者〟問題に関する日本の報道に接して、ある移民の話を思い出した。デカセギに行こうと思ってパスポートの申請を在聖総領事館にしようと、日本から戸籍を取り寄せたら自分が死んだことになっていた、というものだった▼本人いわく「遺産相続がらみで親族に勝手に死亡届を出されたようだ」とショックを隠し切れない様子だった。実 際には生きているのに、よりによって親族の手で死んだことにされた心情はいかなものだったろうか▼移民の人生に引越しは付き物であり、総領事館に出した在留届の住所が過去のものになっている可能性は高い。そうなると総領事館で行方がつかめない。そんな時、日本の親族は邦字紙に人探しの記事掲載の依頼をする。とくに80~90年代、頻繁にその種の記事が掲載された。かなりの確率で居所が判明したが、中にはまったく所在がたどれない人がいた▼それにしても「十三代将軍・家定と同い年」などという日本の報道のされ方には、冷やかし半分の「重箱の隅」的な印象を受けた。戸籍制度という世界に冠たるシステムがあるからこそ起きた問題であり、世界の大半の国々はそれ以前の状態にある。いつものこととはいえ、内向きな自虐センスを感じる▼ちなみに昨年1月に発表されたPNAD(全国家庭調査)によれば、北東伯や北伯では、出生した子供の35%が未届けで身分証明書を持っていない。死亡届どころか〃消えた出生児〃だ。問題意識を広く持って、戸籍制度が世界に誇れるものであることを前提に、そうであっても修正すべき点はある、という論調でもいいのではないか。(深)