ニッケイ新聞 2010年8月31日付け
ブラジル福岡県人会(南アゴスチンニョ俊男会長)は29日、サンパウロ市リベルダーデ区の客家会館で県人移住百周年、同会創立80周年の記念式典を挙行した。母県からは麻生渡知事(全国知事会長)はじめ林裕二県議会副議長、武藤栄治・同県海外移住家族会会長(県会議員)らによる慶祝団が来伯。祝典に合わせて開かれた世界福岡県人大会出席のため各国の県系人も多数訪れ、関係者、来賓など計千人近い出席者で節目の年を祝った。
第2回移民船「旅順丸」の21家族79人から始まった福岡県人のブラジル移住。所狭しと椅子が並べられた会場は満席となり、慶祝団、南会長、大部一秋在聖総領事夫妻、柳井ジョルジ上議、ウィリアン・ウー下議、羽藤ジョージサンパウロ市議、日系団体代表らが壇上に上がった。
国歌斉唱、先亡者への黙祷後、挨拶に立った南会長は、今回新たに記念誌を発行することなどに触れ、「県人会の運営の主体を受け継ぎ、発展させる過渡期にある」とし、「今回の式典はその良い節目にある」と述べた。
続いて麻生知事が、全国で3番目に多いブラジルへの移住者数、県費留学制度や08年度から開始した県人子弟招へい事業などの実績を紹介。「今後も海外福岡県人会を応援していく」と述べ、「ブラジルと福岡県の懸け橋として活躍を」と期待を表した。
武藤会長は最近の日本は「ひきこもり」と話し、日本からの留学生が減少していることなどに言及、サントスの上陸記念碑に書かれた「この大地に夢を」の言葉を挙げて移住者の志を今後も育み続けて欲しいと述べた。
来賓祝辞の後に県表彰が行われ、特別功労者5人、一般33人、高齢者19人が表彰され、それぞれ代表者が賞状を受け取った。
特別功労者表彰を受けた松尾治前会長は「身に余る光栄。県人会、日系社会の発展のため今後も努力する」と謝辞を述べた。
進物贈呈が行われ、南会長が県からの記念品・特産品などの目録、記念誌発行への寄付金などを受け取り、メキシコ、アルゼンチン、ペルー、コロンビアなどの県人会からも記念品を受け取った。
2009年度の留学生南千秋ビビアンさん(25、四世)が留学生代表として挨拶し、「人生に一度の経験が出来た。自身が日系人であることを誇りに思えるようになった」と話し、今後の同制度の継続を願った。
同県人会顧問中村勲さんの万歳三唱の発声に続き、閉会。祝賀会では市旗などが飾られ、ケーキカットと鏡割り、乾杯後はカラオケや、花柳流金龍会の「牡丹獅子」、子弟招へい事業で訪日した子どもら十数人が日本で学んだ「南京玉すだれ」などが次々と披露された。さらに、10年前に県から太鼓の寄付を受けたサンミゲール支部太鼓部が「10年間の成果をとくと見てほしい」と熱のこもった勢いある演奏を行い、大きな歓声、拍手が起こった。
演奏後、矢野ペドロ太鼓連盟会長から知事らに感謝状が贈られた。
県人2世に当たる矢野会長は同県人会会長を2期4年務めた。父・清治さんは福岡県浮羽郡出身(当時)で1914年に移住。「良く働く真面目な人だった。今でも自分の理想像で超えることが出来ていません」と目を細め、亡き父に思いを馳せた。
万歳の発声を行った中村顧問は45年来の県人会の古参。会長も務めた。「昔はやることは徹底的、役員も血の気が多く、方針を巡ってよく喧嘩したもの」と懐かしむ。今後の発展に向け、「一世、二世の感覚のズレを理解し、反対に古い人達が若者に付いていくという考えが必要。その中で助言を行っていきたい。それは多くの日系団体に言えることではないか」とそのあり方を提言した。
演目が進み、歓談が弾む中、他国会員からは「やっぱりブラジルの県人会、日系社会は大きい。日本に居るみたい」と興奮気味な声も聞こえ、終始盛大な祝典となった。