ニッケイ新聞 2010年9月2日付け
1日、多くの国民に愛されてきたサッカーチームが苦悩と栄光の歴史に1つの節目を迎えた―。8月31日夜サンパウロ市セントロのアニャンガバウーに白黒の衣装をまとった11万人もの人が集結。サッカー界に大きな歴史を刻み、国民をとりこにしたスポーツクラブ・コリンチアンスの発足から100年が経ち、集まった大勢のファンと選手らにより盛大に祝われた。1日付各伯字紙が大々的に報じた。
1910年9月1日、エリート階級がサッカーというスポーツを独占していたその当時、サンパウロ市ボン・レチーロ区の労働者層から発足し、大衆人気を呼んだのがコリンチアンスだった。初代会長だったミゲル・バタグリア氏の「コリンチアンスは大衆のためのチーム、そしてチームを作るのも国民だ」との有名な言葉も残っている。
1926年にサンパウロ市サンジョルジ公園の土地を購入し2年後にスタジアムを構え、市内東部を拠点に活動。1914年を皮切りにサンパウロ州選手権で26度優勝、ブラジル選手権でも90、98、99、05年の4度にわたって優勝を飾ってきた。
ファンを引きつけたのは、テクニックに秀でた名選手よりも、常にユニフォーム、勝利への強い思いを示した情熱的な選手だったといえる。100年間で最も多くの出場を果たしたのはウラジミール(805)、ルイジーニョ(604)、キーパーのロナウド(602)だった。
コリンチアンスの顔でありヒーローといえる選手はと問うファンへのアンケート調査ではマルセリーニョ、ロナルド・フェノメノなどの名が挙がり、ベスト監督にはマノ・メンゼス氏がダントツの人気を得ている。
チームの発展には、ファン達の支えも大きい。国内全土に広がるコリンチアンスファンの人口は2580万人でブラジル人口の13・4%。その規模はポルトガル、スウェーデン、スイスの総人口にも並ぶ。76年にリオで行われたブラジル選手権大会準決勝に、サンパウロから7万人のファンが駆けつけた事も記録に残っている。
ダッタフォーリャの調査によれば、ファンの様相は白人42%、混血32%、黒人15%、黄色人種2%。2割が大学レベルの教育を受け、7割が2最低給与以上の受給者となっている。同性愛者は2%とも示された。
1年間にチームの公式ユニフォームを購入した人は31%と他のサンパウロチームのファンより多く、ブラジル代表チームとクラブのどちらかに優劣をつける項目では、他チームのファンがブラジル代表に重きを置く傾向があるのに対し、コリンチアンスファンは半々という結果。チームへの熱い思い入れが表れる。
一方、コリンチアンスファンであるルーラ大統領の提言で14年サッカーW杯のサンパウロ市での開会式会場に仮定されたイタケーラに建設予定の新球場は規模拡大のための資金確保が課題だが、クラブ側は政府やブラジルサッカー連盟の支援の他、国際サッカー連盟にも1億8千万レアルの資金援助を求める意向だ。