ニッケイ新聞 2010年9月10日付け
歴史に「もし」はないと言われるが、第2次大戦でブラジルが枢軸国側に参戦していたら、今と違う世界情勢が生まれていただろう▼ヴァルガス大統領は思想的には枢軸国側の独裁政権に近かった。彼が37年に始めた独裁体制エスタード・ノーボは、先輩格のポルトガルのサラザル独裁政権を参考にして同じ名前まで付けた▼労働組合運動から支持を拡大したムッソリーニの影響でいち早く労働組合法を整備し、ナチスからは軍事顧問も招いて兵器を購入するなど強い親近感を枢軸国側に持っていた▼にも関わらず42年に連合国側にたつ決断した理由を調べてみると、当時のブラジル政府が悲願としていたリオ州への製鉄所建設に米国が融資を決めたのが大きかった▼輸出額の半分以上を占めるコーヒーの価格低迷に苦しんでいたブラジルは、農業以外の産業育成が国家的念願であり、国営石油公社(現ペトロブラス)や国営製鉄公社などを設立していた▼思えば日本は56年、ブラジルからの要請を受けてナショナル・プロジェクトとしてウジミナスを実現させ、62年に第一高炉の火入れをした。もし、その15年前に日本がブラジルに対して移民受入国以上の認識を持ち、投資や技術供与を行っていたら・・・▼ブラジルが06年に地デジ方式採用にあたって米国、欧州方式を蹴って日本方式に決めたのは、国際政治力学から考えれば「もし」に近い思い切った選択だったが、9カ国が採用という素晴らしい広がりを見せた▼地デジ方式調印の流れで、現在の悲願たる半導体産業育成にも日本は協力をしている。世界に「もし」を起こさせる両国関係の芽は大事に育てて欲しい。(深)