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日本語教育リレーエッセイ=《2》=2番目のマイホーム=川畑暁美

ニッケイ新聞 2010年10月23日付け

 私はピラール・ド・スール日本語学校の卒業生です。学校とのつながりは私が3才の時からです。
 最初はもちろん他のどの子供と同じように遊んでばかりいて、いたずらをし、女の子一人の私がいつもバツ当番をさせられて、周りにいる先生、生徒、親、その環境は全て当たり前で、何も気付かず毎日を過ごしていました。
 でも段々大きくなり、気付いたのです。周りにいて学校を支えてくれる人は当たり前じゃないのを。私にとってピラールの父兄はヒーローです。親達は毎日学校への送り迎えを繰り返し、学校行事の為、朝早く起きたり弁当を作ってくれたりします。卒業して学校へ行く時の一番好きな時は、親が教室の前から子供の姿を見て一人でにっこり笑う姿を見る時です。それは親が最も近くから子供の成長を見ている時だと思います。
 年に一回、お父さん、お母さん達は力を合わせ、「牛の丸焼き会」を行い、日本語学校の為にお金を稼ぎます。前の日から、お父さん達は疲れにも負けず会場を作ったり肉の用意をしたりし、お母さん達はサラダやおかずやデザートなどを作ったりします。
 それだけでなく、婦人会と母の会の頑張りは一年に渡り、ぶどう祭りや盆踊りなどピラールで行うイベントで〃ブラジルベスト3〃に入る焼きそばを出し、日本語学校や文協のためにお金を稼いでくれます。どうやって子供にもっと良い日本語学校ができるのかを考えて、先生方と話し合ったりしてくれます。また市の老人ホームや幼稚園を援助するイベントでも焼きそばを売って、売り上げを寄付することもしています。
 ピラール・ド・スール日本語学校は他の日本語学校と違い、毎日授業があります。読み書きの繰り返しだけでなく、体育、パソコン、毛筆、調理実習などもやり、陸上部やソーラン部もあります。日本語学校なのに、なぜそんな別の授業があるのでしょう。それは楽しいからだけでなく、今の子供が将来もっと良い大人に育つ為だからだと私は思います。
 私自身、陸上部やソーラン部にも入部して、それと毛筆のおかげで色んな所に行き、色んな人と出会う事が出来ました。日本語学校のおかげで「人を大事にすること、尊敬する事」の意味がわかりました。父の日・母の日発表会ではいつも言えない感謝の言葉を伝えること、敬老会でおじいちゃん、おばあちゃんに喜んでもらうこと、その素直さと周りに感謝の心を持つ事を日本語学校が教えて下さいました。日本語学校に入って辛いこともあったかもしれないけど、通って後悔したことは一つもありません。
 私にとって12年間の日本語学校はただの「日本語学校」じゃなくて「人生の学校」でした。学校のおかげで今の友達や親友ができ、もっと自信や夢や責任を持つようになりました。先生方のはげましと協力のおかげで今までで最高の思い出、JICA日本語学校生徒研修にも合格することが出来ました。日本語学校があったからこそ私は今もっと良い人になれたと思います。私が迷っていた時や腹が立っていた時は、いつも先生方は話をじっくり聞いて意見を出して、次へ進む勇気を下さいました。
 卒業してもう4年もたちました。今私はサンパウロ市内の大学の経営学部2年生です。大学生活には数えきれないぐらい楽しい事があります。でも日本語学校にいた時と同じような楽しさは今までありません。週末ピラールの実家に帰って日本語学校によらないと気がすみません。ピラール・ド・スール日本語学校は私の2番目のマイホームです。
 これからももっと多くの人に日本語学校の大切さを感じてもらいたいです。何年たっても私は日本語学校を守るよう自分との約束をしました。日本語学校はかけがえのない存在だからです。これからも皆と力を合わせ協力し、私達の日本語学校に花を咲かせ続けたいです。
 お父さん、お母さん、先生、あなた達の大きな愛情でこんな立派に育ちました。ありがとうございました!

川畑 暁美 (かわばた あけみ)

 1991年生まれ。3才~16才までピラール・ド・スール日本語学校に在学。全伯陸上大会800m優勝、高校生国際書展入賞、全伯生徒作品コンクール4部門入賞多数など

写真=川畑さん(中段左から2番目)卒業式で友人たちと