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PMDB重鎮志半ばで逝く=元サンパウロ州知事のクエルシア氏

ニッケイ新聞 2010年12月25日付け

 2010年の上院議員選をガン再発で断念し、治療中だった民主運動党(PMDB)のオレステス・クエルシア氏(72)が24日朝7時40分、入院先のサンパウロ市シリオ・リバネス病院で息をひきとった。
 1938年8月18日にサンパウロ州内陸部ペドレグーリョで生まれ、カンピーナス市で成長したクエルシア氏は、ジャーナリズムや法学、企業経営学などを学んだ後、1963年のカンピーナス市議就任を皮切りに政治家としての頭角を表した。
 1666年には下議当選。68年にはカンピーナス市長に当選し、69年から72年の任期をまっとう。74年の上議選で当選して中央政界にも進出し、70年代から80年代にかけてサンパウロ州でも最も影響力を持つ政治家の一人に数えられるようになっていた。
 82年にはPMDBから州知事選に出馬したアンドレ・フランコ・モントロ氏の副として当選。86年のサンパウロ州知事選ではパウロ・マルフ氏を破って当選し、87~91年にサンパウロ州知事を務めた。
 知事時代には道路網の改善やラ米記念館建設などに努め、91年から93年にはPMDB党首も務めた実力者で、94年の大統領選や98年のサンパウロ州知事選では煮え湯を飲んで表舞台から遠ざかっていたが、今年の統一選では上議選出馬を表明。
 中央政界では労働者党(PT)と連立を組むPMDBが、サンパウロ州ではPTのジウマ・ロウセフ氏の対抗馬だった民主社会党(PSDB)のジョゼ・セーラ氏を支援したのも同氏の影響で、上議選断念後もPSDB候補への支援を呼びかけた。
 上議選を断念したのは10年以上前に患った前立腺ガン再発が原因で、8月と10月に化学療法も行ったが、病状が悪化して18日に再入院していた。通夜は24日午後2時からバンデイランテス宮で行われている。