ニッケイ新聞 2009年12月1日付け
ホンジュラスのTVテレビセントロは11月30日未明、次期大統領選で保守派のポルフィリオ・ローボ氏が過半数を占めたと報道したことを同30日付けフォーリャ紙が報じた。同選挙は、ブラジルの要求を無視したまま米政府主導で挙行され、臨時政権の思惑通りになった。ルーラ大統領は、改めてホンジュラス選挙を否認する意向を表明。同国の紛争でブラジルが採った努力が「笑い話」になったと述懐した。アモリン外相は、在ホンジュラスのブラジル大使館を閉鎖するか否かを検討すると述べた。
ホンジュラスの大統領選挙を巡っては、ブラジル政府内でも意見が2分しているようだ。従来路線固執か、情勢に合わせながら日和見するか。新大統領は、曲がりなりにも直接選挙で選ばれ、5カ月にわたった休止状態に終止符が打たれた。
ルーラ大統領は、セラヤ大統領の復権に向けてできるだけのことをした。選挙結果の是非は、EU宗主国の判断に任せるべきでないかという意見がある。ブラジルが否認に固執するなら、OAS(米州機構)決裁へ引き継がれるようだ。
アモリン外相とガルシア大統領顧問は、同選挙を臨時政権による八百長選挙と位置付けした。この事実をスペイン政府が、どう評価するかが最終判断になりそうだと両氏は見ている。
セラヤ大統領はブラジル大使館の客分だが、ブラジルの外交特権を盾に政治活動を行ったと国連は理解している。だから丸っきり、蚊帳の外にいたわけではないという。
ホンジュラス選挙は否認の如何に拘わらず、伯米両国の仲を裂いた。ルーラ大統領は、民主主義に関する国際ルールを尊重した。オバマ米大統領は、ホンジュラスの紛争早期解決を優先した。
政治学者は次のように見ている。クーデターも民主主義の1方法として容認される前例ができた。同選挙は、違法とされる理由が三つある。1は、軍の制圧下で選挙が行われた。2は、セラヤ派の選挙管理委員を排除した。3は、公平な選挙ルールが欠如した。
中立国の選挙監視団がいなかったので、民主主義のルールに沿ったかの検閲はない。従って実権を握る一部有力者の思惑通りに、ことを運ばせた。選挙は、そのための単なる手段だという。