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日伯論談=テーマ「日伯経済交流」=河村建夫=日ブラジル会議員連盟幹事長=再活性化に道筋=「日伯21世紀協議会」

2009年12月12日付け

 去る11月27日、日本・中南米国会議員連盟は、引退した河野洋平前衆議院議長に代わり、会長に横路孝弘衆議院議長を選任した。同議員連盟は、日ブラジル会議員連盟と会員を一にするいわば双子の議員連盟であり、日ブラジル会議員連盟の会長は、麻生太郎前総理が務めている。
 私にとっての政治の師は、故田中龍夫先生であるが、「ブラキチ」で知られ、移住者親族団体である日本海外移住家族会連合会会長として、コロニアにとっても親しみの深い存在であったことは今更言うまでもない。
 日本・中南米国会議員連盟の元はといえば、海外移住者の渡航貸付金返済免除を議員立法で実現するために結成された海外移住議員連盟なのである。
 1990年、引退された田中先生の後継者として衆議院に初当選以来、両議員連盟の事務局長を務めた。1年生議員が、当時300人を越える最大規模であった議員連盟の事務局長に指名されるのは異例のことであったと思うが、田中先生からは、日本にとっての対中南米外交の重要性、とりわけ可能性を秘めた未来の大国ブラジルの魅力について説かれたものである。
 そして、両議員連盟の会長には、最低でも外相経験者、願わくば、総理経験者、衆議院議長が望ましいと指示を受けた。日伯は、渡辺美智雄、三塚博、橋本龍太郎、麻生太郎という元外相、総理経験者。日・中南米は、小渕恵三、河野洋平、横路孝弘衆議院議長と、その約束を守り続けているわけである。
 さて、2004年9月、小泉純一郎総理がブラジルを訪問し、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領との首脳会談が実現した。翌05年には、ルーラ大統領が日本を訪問され、その際、両国関係のあり方を大所高所から議論し、一層高い次元で推進していくための方策を明らかにすることを目的とする「日伯21世紀協議会」が発足し、日本側座長に私が就任することとなった。
 メンバーは、槍田松瑩三井物産社長、鈴木勝也元駐ブラジル大使、岡本巖住友商事専務、堀坂浩太郎上智大学教授であった。ブラジル側座長はエリエゼル・バチスタ・ダ・シルヴァ・リオドセ社特別顧問で、リナルド・カンポス・ソアレス・ウジミナス社長を座長代行に、パウロ・デルガード・ブラジル連邦下院議員、パウロ・ヨコタ・サンタクルス病院理事長、パウロ・オカモトSEBRAE総裁、アルミール・バルバッサ・ペトロブラス最高責任者他が、政財界等から選ばれた。
 05年11月にリオデジャネイロで、06年7月に東京で、2回にわたる会合を開き、「日伯交流拡大への継続的なイニシアチブ(政治的協力・交流)」、「日伯経済関係の再活性化(経済貿易協力・交流)」、「科学技術協力・交流の促進」など7項目からなる提言をまとめ、小泉首相、ルーラ大統領に提出した。
 08年の日本人移住100周年(日本ブラジル交流年)を視野に入れ、それを契機に様々な分野の交流・協力に拍車をかけることが狙いであったが、特に「日伯経済関係の再活性化」については、ブラジルは日本をアジア市場参入の橋頭堡とし、日本はブラジルを成長市場および中南米市場参入への拠点とする、より高度な協力関係を目指すこと。インフラストラクチャーに関するプロジェクトへの官民の投資促進。バイオ・エネルギー、紙・セルロース、鉱業、鉄鋼、電気電子、通信、造船、自動車等の分野における協力強化。デジタル通信技術、特にテレビ関係技術の相互交流、共同開発のためのメカニズムの研究等を提言した。
 その最中の06年、ブラジルが世界に先駆けて地上デジタル放送の日本方式採用を決定したことを報じる朝刊紙面の日付が、6月18日「移民の日」であったことを今も鮮明に覚えている。この実現については麻生外相(当時)のリーダーシップが大きかったと思う。
 同協議会は、経済分野に特化した「日伯戦略的経済パートナーシップ賢人会議」にひきつがれたが、08年における日本の対ブラジル投資は前年比約9倍となり、すべての分野において進展が見られ、新しい協力関係が築かれつつあるのは喜ばしい限りである。
 同年6月、日ブラジル会議員連盟のメンバーで構成する、衆議院ブラジル日本人移住100周年慶祝議員団の一人として、ブラジリア、サンパウロ、パラナでの式典に参加する栄誉に浴した。一行の団長は、同年1月に日ブラジル会議員連盟会長に選任された麻生太郎その人である。私は、議員連盟と同様、同慶祝団の幹事長の役割であった。
 帰国して3ヵ月後の9月に麻生内閣が発足し、今度は内閣官房長官として入閣することになった。ブラジルでの約1週間は、官房長官としてふさわしいかどうか試験を受けていたようなものだ、と後から思ったものである。

河村建夫(かわむら・たけお)

 山口県出身。県議会議員を経て90年に衆議院初当選。第2次小泉内閣で文科相、麻生内閣で内閣官房長官を歴任。日ブラジル会議員連盟幹事長。67歳。