ニッケイ新聞 2009年12月24日付け
今年はアマゾン日本人入植80周年。過酷な状況のなか、踏み留まった人たちの人生に触れた1年だった。特に印象に残った言葉から―(年齢は取材当時)▼「もう動きませんよ」。ベラビスタ移住地に住む野地忠雄さん(69)は、ペルー・リマ生まれ。戦時中は米国の強制収容所に送られ、戦後日本の地を踏んだが、南米アマゾンへ。「それでもやっぱり日本人」と胸を張った▼「土地が悪かったから頑張れた。貧乏学生が勉強するのと一緒」。58年にエフィジェニオ・デ・サーレスに入植した宮本倫克さん(65、石川)。急勾配の酸性土。日本で聞いた条件とはあまりに違った。今。大都市マナウスが消費する7割の鶏卵を供給する同移住地の出世頭▼「日本人がいなかったら、今のパリンチンスはない」。ジュートを発見した故尾山良太氏の3男、多門さん(89、岡山)。かつての一大産業の礎を築いた戦前日本移民の活躍を、知る人は現地でも少ない▼「何をしよるか分からんですよ」。6人の子供のうち4人が日本に住む。高谷和夫さん(61、長崎)は自身の開拓人生を振り返り、自嘲気味に笑う。〃古里〃モンテアレグレへの愛着は強く、現在も新たな農場作りに精を出す▼「自分が腹を立てれば、元も子もなくなると思った」。トメアスー第1回移民として2歳で渡伯した山田元さん(82、広島)。幼少時から家計を助け、10年もの間、密林で1人働いた。同地本願寺で開拓半ばにして果てた先没者の冥福を祈る日々を送る▼苦労が染み込み、誇りに満ちたそれぞれの顔と言葉を、この年の瀬に思い出し、来年への糧としたい。 (剛)