ニッケイ新聞 2009年11月27日付け
「欧米勢は熱烈なブラジル経済界に攻勢をかけている。日本も政官民がもっと一体となって絆を強めなくては」。ブラジル日本商工会議所は19日に臨時理事会で来年度の常任理事選挙を行い、7年間も重責を担い続けた田中信会頭(リベルコンビジネス、81、山梨県)の後任となった、中山立夫氏(ブラジル三井物産社長、57、東京都)は25日午後に同会議所で行われた記者会見で、そう来年の抱負を語った。
田中会頭はブラジル滞在歴36年、1973年からコンサルタント部会の責任者を皮切りに会議所で活動しており、03年から第14代会頭に就任した。司馬遼太郎さんの有名な小説『峠』の中の主人公、長岡藩の家老河井継之助の「進むときは人任せ、退くときはみずから決せよ」との言葉を引用して心情を述べた上で、「有能で元気があって若い後継者をえてよかった」と喜んだ。
「70年代、赴任当時は草木もなびくブラジルブームだったが、だんだん下り坂になり、〃失われた20年〃(ブラジル側の80年代、90年代は日本のバブル崩壊)、00年からようやく上向き始め、02年に工藤章会頭(三菱商事)のもと組織改革を検討し、03年から実行してきた」と田中会頭。「開かれ、チャレンジする、全員参加の会議所」の三本柱で取り組んできた。
会員社数は80年代の330社を全盛に、04年に141社という最低数を記録。その後増え続け、現在は306社(うち進出企業165社)と回復してきた。平田藤義事務局長は「今まで平均5社増でしたが、来年は10社ぐらい増えそうな勢いです」と補足する。
来年1月に就任する中山立夫氏は「会員のビジネスをアシストし、親睦と相互啓発などを柱にしていきたい」という。前任地カナダでも会議所会頭を経験。田中会頭から推薦を受けて選挙に立候補し、41人の理事が珍しく満場一致で信任した経緯がある。
中山氏は昨年4月にブラジル初赴任したが、以来、日伯経済交流促進委員長の要職を務めてきた。今年2月に日本の経済産業省とブラジルの商工開発相が入って日伯貿易投資促進合同委員会が設立され、ビジネスの障害を直接解決する場を作る新しい動きも始まった。その第2回会合が9月に東京で行われ、田中会頭、中山同委員長も出席した。
同会議所の創立は1940年5月、初代会頭は宮坂国人氏(南米銀行)だった。以来、羽瀬作良氏(羽瀬商会)、蜂谷専一氏(蜂谷商会)、広川郁三氏(兼松江商)、橘富士雄氏(南米銀行)らが歴任し、80年代以降は進出企業が増えてきたが三井物産代表は今回が初めて。