ニッケイ新聞 2009年11月26日付け
酒に関する多くの歌を詠んだ蜀山人に「屠蘇の酒曲水花見月見菊年わすれまでのみつゞけばや」という狂歌があるが、これは酒に捧げる歌であり、四六時中飲みたい酔っ払いの歌ともいえるだろう。呑み助でなくても話題になるのが、忘年年会。もうすぐ師走である▼ブラジルの習慣にはないようだし、ポルトガル語にも翻訳できないようだが、日本人にとっては、やはりこの時期はシーズン到来といったところ。紙面で呼びかける記事もちらほら見かけるようになってきたし、編集部に声を掛けてくれる団体や愛読者が増えてくることで、徐々に年の瀬を感じることになる▼中国の故事にちなみ、年齢の上下を忘れ、互いに尊重し、信頼する関係を結ぶ「忘年の交わり」をその語源とする説もあるが、どうもはっきりしないらしい。鎌倉時代に連歌を詠む「年忘れ」の行事からだとも。文芸作品で初登場するのは、夏目漱石の「我輩は猫である」というのが定説で、明治後期には一般的であったようだが、納会ともいわれていたようだ▼仕事仲間の関係を強くするうえで、日本人が大事にしてきた慣習だが、ある調査によれば、「会社・職場での忘年会は必要か?」というアンケートへの回答は、「不必要」が32、5%と「必要」の31、5%を上回ったという。対象は30代が中心だそうだが、その理由は「気を使うから」に次いで「お金がかかるから」。なかなかに世知辛い▼ともあれ。不景気の嵐が吹き荒れ、いいニュースが少なかったような今年を忘れ、来年に期待を寄せて大いに杯を傾けたいものだ。 (剛)