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映画「ルーラ」が試写=メロドラマ化で説得力不足

ニッケイ新聞 2009年11月20日付け

 ブラジリア国立劇場ヴィラ・ローボスの間で18日に行われた、映画「ルーラ、フィーリョ・ド・ブラジル」の試写会は、通路にも観客が溢れるほど満員だったと19日付けジアリオ・ド・コメルシオ紙が報じた。
 話題作だけに報道関係者も多く、出演した俳優の座る席もなかったという。「話題の人物、ルーラ」が、国民からどう思われ、反響を呼んでいるかが表れているようだ。
 しかし、ルーラを美化して担ぎ上げるような作為的な結末はなかった。監督はファービオ・バレット氏。試写会には、マリーザ夫人やベルゾイニ労働者党党首など、政治家多数も出席した。
 観客の大半はルーラ支援者で、作品は拍手を浴びたが、反ルーラ派観客にも配慮し、宣伝的行為はなかった。ルーラ生誕の地ペルナンブッコ州カエテースのセルトン(荒野)で始まる出だしは良かったが、内容には飛躍も多かったらしい。
 画面が衝撃的なだけで、少年ルーラの悩みに関する掘り下げに欠け、ルーラが味わったどん底の苦しみを描ききれない上滑りの作品だという。
 人生劇とは往々にしてメロドラマなのかも知れない。幼年期に難民としてトラックの荷台で揺られながらサントスに着いたルーラは、何を感じたか。その人格と人生観がどのようにして形成されたかの理解は、観客の想像を待つしかない。
 父はアル中、極貧、絶えない家庭内暴力。母は父を捨て、小さな子供を連れて夜逃げする。ルーラ自身、貧しくて何もできないまま、初婚の妻を難産で失う。そのような中、ルーラにとって一切の言及を許さない絶対的な女神が母だった。
 人生に転機が訪れる。ルイ・R・ジアスとの出会いだ。ここからルーラの労働運動が始まり、大衆を動かす天性の指導力を発揮する。ルーラのひな壇最上段には、母と労働組合が鎮座する。しかし、ルーラの刑務所呻吟中に母が他界。死に目にはあえなかった。
 一般公開は1月1日の予定。ジアリオ紙のルイス・Z・オリッシオ氏は、「極貧のドン底から叩き上げた一国の大統領の自伝としては、説得力に欠ける。全体に砂糖の入れすぎで、音楽に至っては吐き気がする」と辛口の批評をしている。