ニッケイ新聞 2009年11月12日付け
1933年、モジアナ線サンタセシリアで生まれた2歳の男の子はマラリアに罹り、死線をさ迷っていた。病院から危篤の報を受けた父親は、「多分もうだめだろう」と、小さな棺おけを用意した。しかし、奇跡的に男の子は命を取り留める。そして65年の年月が経った▼90歳になった父親は入院中。67歳になった男の子はある朝、1本の無言電話を受け取る。その15分後、再度ベルが鳴る。病院で看護していた妹からだった。最初の電話が鳴った時刻に父親は亡くなっていた。「昔、私の死を覚悟した父が自分の死んだことを知らせたかったのか…今だに不思議です」。この体験を語ってくれたのはサンパウロ人文科学研究所の所長で今月6日に急逝した田中洋典さん▼ブラジルはもちろん、日本の文化にも詳しく、よくやっつけられた。日ポ両語に堪能で、言葉の使い方にも厳しかった。「君たちは新聞で『ジャポネス・ガランチード』というのを『日本人は信用できる』という意味で使うけど、本来は言葉のできない日本人を馬鹿にした言葉なんですよ」としかめた顔に、戦前二世の複雑な感情が漂った▼冒頭の話はコラム子が以前企画した「コロニア百物語」の取材で、色んな人に不思議な経験を聞いていた時のもの。結局、企画自体がお蔵入りになってしまったのだが、「いつ掲載されるんだい?」と冷やかし半分に聞かれ、頭を掻いたものだ。こういう形で紹介されるとは、田中さんも苦笑していることだろう。熱烈な邦字紙の愛読者であり、コロニアの読み方を手ほどきしてくれる新米記者の味方だった。心から冥福を祈りたい。 (剛)