ニッケイ新聞 2009年10月24日付け
「コロニアの歴史は面白い」。そう繰り返し語る聖南西のイビウナ市在住の香山栄一さん(84、福岡)は、おそらく個人としてはコロニア一、3000冊以上の移民関係の蔵書を持つ。72年から病気のために車椅子生活になったにも関わらず、コンピューターを駆使して最新の情報収集に務め、コロニアの記念誌はもちろん、アルゼンチンやパラグアイなどの南米各国、北米、日本の出版物まで、手の届く限りの移民関係本を収集している。
「こんなのは見たことありますか?」。少々耳が遠くなった香山さんは、客の前にマイクを置き、ヘッドフォーンで聞いて会話する。部屋の壁面には本棚がならび、移民関係の蔵書がずらり。
コンピューターを置いた広い机のすぐ横には、自家製本するためのコピー機があり、自宅というよりは、事務所か研究所の風情だ。80代半ばの戦前移民としては珍しく、コンピューターを自在に駆使して次々に目新しい映像や音楽を見せる。
貴重な蔵書の中でも一番のお気に入りは、なんといっても鈴木貞次郎(南樹)の『日本移民の草分』(1967年)だ。「笠戸丸以前に、自ら実験台になってブラジルの農園に入り、日本移民の見本として苦労した。言葉もよく分からないなか、よい成績を残したのはエライと思う。使命を自覚して頑張った姿に感銘を受ける」とその理由を説明する。
1925年10月に福岡県で生まれ、4歳で大阪へ、1933年に7歳で親に連れられて渡伯してチエテ移住地(ペレイラ・バレット)へ入った。戦後、アリアンサ移住地との中間にある湿地帯に土地を買い、開墾して機械化した綿作りもした。
その後、サンパウロ市でブラスネンに入社し、71年にイビウナ市で農機具販売店アグロ・カヤマを創業し、現在は3代目、孫が経営にあたっている。
チエテ河にトレイス・イルモンイス発電所のダムが完成して90年にノーボ・オリエンテ橋が湖底に姿を消したことから、「移住地の存在も世代の交代とともに忘れられていくかもしれない」との想いから一念発起して、約40人の開拓体験者に呼びかけて、『拓魂のうた(思い出で綴るチエテ郷土史)』(97年)も編著し、自分史も著すなど執筆意欲も旺盛だ。
書籍を通して各国の日本移民を比較し、「どこの移民も初期はブラジルと似ている。一世は言葉の壁があるから〃肥料〃となって、日本人の特質を残した二世、三世が繁栄する」と分析する。
ブラジルに関しても、「日本語はよく分からないが、日本文化を尊重する気持ちは二世、三世にも伝わっている」と見ている。「後世に少しでも日本的なものを残して欲しい」と百周年後に期待をしている。