ニッケイ新聞 2009年10月14日付け
金融危機の開始からちょうど1年、これから日本はまた冬を迎える。わずか1年前には32万7千人を数えた在日ブラジル人のうち、すでに約5万人が帰伯した。例えば、エスタード紙9月6日付けでは「4万7千人が帰国し、うち3400人は日本政府による30万円の帰国支援策を受けており、この列には6600人が手続きをして並んでいる」と報道。BBCブラジルは8月28日付けで、「昨年9月から5万4709人が帰伯。うち今年の前半だけで4万1887人が減った。4月1日から8月初めまでに9762人が日本政府の帰国支援を要請している」と報じている。5万人が帰伯しても、残りの26万人は日本で踏ん張り、懸命に工場などでの仕事を続けている。それと同時に、工場労働以外の新境地を拓いてがんばっているブラジル人も多い。そんな〃現代の開拓者たち〃を、愛知県から秋山郁美通信員がレポートする。(編集部)
農業、洋菓子、養護学校・・・=5人が選んだ第2の道
【愛知県知立市発】太陽がギラギラと照りつける中、黒岩ミチオ・オズワルドさん(54、二世)の〃開拓〃が始まった。腰の高さまで茂ったセイタカアワダチソウを草刈り鎌でなぎ倒していく。周囲の農地は休耕中で静かだ。
「畑やってるブラジル人がいるの。面白そうね。見に行きたいな。でも今日はこれから相撲だから、また今度」。場所中は毎日の相撲観戦を楽しみにしている中尾文雄さん(68、二世)は、務めていた派遣会社を解雇され、現在裁判所の通訳になるべく勉強中。分厚い法律用語の本をすべてノートに書き写す熱心ぶりだ。
一方、市役所の福祉課窓口でひと際目立っているのは四世のペルー人、コマツダニ・フエダ・ヨハリ・タエコさん(22)。スペイン語、ポルトガル語、日本語と3カ国語を操る彼女は、仕事が見つからないブラジル人の夫に3歳の娘を預け、デカセギ子弟ならではの語学力を生かしている。
「ジャムおじさん行ってらっしゃい」と長女のリアナちゃんに見送られて出勤するのは、怪我をきっかけに昨年工場を解雇され、日本人の妻の実家で義父母と同居を始めたササキ・アキラさん(30、三世)だ。これまで油まみれの工場でしか働いたことのなかった彼は一転、おしゃれな洋菓子店で働き始めている。
同じく驚きの転職をしたのは屋良マルコスさん(41、3世)。人づきあいが苦手という彼が、長い工場労働から再就職先に選んだのは、子供を相手にする養護学校だった。
「こんなところにブラジル人がいたのかってびっくりした。子供たちを守らなければいけない」と新しい使命感に燃える。
不安定な社会状況にもまれながらも日本に踏み留まり、新しい職場に挑戦している5人の日常を追った。(つづく、秋山郁美通信員)
写真=開墾したばかりの畑に、友人の娘といっしょに種を蒔く黒岩さん