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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベレン・トメアスー編】=《29》=援協=第3病棟の完成目指す=頼りになる福祉団体

ニッケイ新聞 2009年10月7日付け

 ベレンで「援協」と言えば、アマゾニア日伯援護協会(生田勇治会長)のことだ。今年創立44周年で、会員数は1126人(08年、半数は日本国籍者)、職員数は345人を誇る。
 アマゾニア病院の他、トメアスーの十字路アマゾニア病院、厚生ホームも運営しており、奥地巡回診療や高齢者診療、福祉活動など同地日系社会の健康面を支えている。
 援協事務局長の太田勲さん(58、新潟県)は北伯雇用青年として、1975年に飛行機で移住した若手戦後移民だ。まだ24歳だった。胡椒の病害が酷い時期だったが、トメアスーの組合に4年間働き、サンタイザベルの養鶏飼料会社に移った。81年1月に農場でフェスタをしていたとき、酒を飲んで川に飛び込んで頭を打ってしまった。
 「意識はあるが身体が動かない。気を失って、気付いたら入院していました」。アマゾニア病院との劇的な出会いだった。なんと首の骨が折れていた。頭をレンガで引っぱって寝返りもうてない状態で「骨と皮になった」。50日間入院し、3月にはリハビリのために2年間帰国した。最初は駐車場の仕事、次第に雪かきや道路工事の仕事をして体力つけた。
 83年にベレンに戻ってきたとき、世話になった援協に挨拶に来た時に「働かないか」と誘われ、以来26年になる。

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 アマゾニア病院は市内に30以上ある病院のうちでも中堅クラスだという。一般病室は70床、UTIは5床だ。08年の診察件数は7万8392件、手術も2853件も行っている。
 最初はサンパウロ市から日系医師を呼んで巡回診療していたが、65年に汎アマゾニア日伯協会の一室の実費診療所として産声をあげた。初代会長は戸田子郎氏。現在の病棟は、当時の学生寮を改修したもので、生田会長も学生時代に入寮していた。
 アマゾン日本人移住40周年の記念事業として、この病院の第1病棟を新築し、開院に至った経緯がある。
 日本船舶振興会の助成を得て同50周年で第2病棟増築、82年にはトメアスーの第2診療所をJICAから引き継ぎ、88年に十字路アマゾニア病院を開院した。91年には養老院の厚生ホームを近郊のアナニンデウア市に設立し、活動の幅を年々広げてきている。
 アマゾニア病院の外来患者のうち、日系人は5%程度、入院では15~20%が日系人で、だんだんとブラジル人が増えてきているという。
 太田事務局長は、「面白いもので、日本語が話せる医者はお年寄りに人気があり、日系人に人気のある医者はブラジル人も集中するんですよ。あそこの病院にいけば日本人の先生に見てもらえるという評判が一般市民にひろまっています」と話す。
 同援協が運営するコンベニオのアマゾニア・サウーデも最初はこの病院だけだったが、他でも使えるようにした。やはり3割は日系人だが、残りは一般市民だ。
 将来の課題は、第3病棟を完成させることだ。今は地下と1~2階部分しかできていないが、7階まで拡張する予定。完成に向け、今年から工事を開始したいという。
 プロミス名誉会長の神内良一氏から福祉基金を出してもらった。ここからUTIの拡張、緊急外来の窓口改修をすることになっている。また、日本政府の草の根無償資金により、一般外来窓口の増改築も行われる。
 「月曜から金曜まで毎日10件手術が入っている。これ以上増やせない状態。なんとか手術室やUTIの病室を増やし、経営効率を高めたい」。
 生田会長(62)は今年3月まで15年間も同病院の院長を務めた。最初の12年間は職員として収入を得ていたが、その後は無報酬のボランティアとして粉骨砕身している。現役の形成外科医であり、今も同病院で1日平均2回の手術をこなすという多忙さだ。
 日本への留学経験は4回を数える。最初は文部省国費留学で名古屋大学、慶応大学医学部にも2回、阪大にもいった。
 汎アマゾニア日伯協会の会長にも就任し、今年は〃80周年の顔〃として八面六臂の活躍をしている。(続く、深沢正雪記者)

写真=太田勲事務局長(上)/生田勇治会長