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日伯論談=第21回=ブラジル発=川村真由実=親と教育者の責任=帰伯後にどう空白を埋めるか

2009年10月3日付け

 日本から親と共に帰国した子供たちとの初めての出会いは1998年のことでした。新しい挑戦、達することのできなかった目的に対しての絶望、多くの喜び、さまざまな気持ちとの戦いの11年でした。
 多くの帰国子女に接していると、どんな子が来ても大丈夫だという安心感に満たされそうになりますが、その度に目の前に現われる子供一人一人が、そんな簡単なものではないよ、と彼たちの悩みや傷などと一緒に、考えさせるものを投げかけてくれます。
 帰国した子供が一番必要としているのは心のケアだと察し、そちらの方に重点をおきました。人間は心と思考のバランスが取れない場合、必要なことも覚えることができなくなります。
 彼らの場合、突然の帰国によって慣れない生活習慣や文化の中に放りこまれるので、安心して信用できる人が自分の近辺にはいないとまず感じてしまいます。
 何人かが輪になって明るく何かを話していると自分の事を笑っているのだと思い込んでしまったり、授業中に全然分からない言語にとまどい、自分たちはみんなより劣っているのだと沈み込んでしまって、だんだんと内にこもってしまいます。
 その場合、生徒と教育者のコミュニケーションは霧に包まれ、疑いの目がいつも光っていてスムーズに進みません。
 この疑いの気持ちをなくすため、帰伯子女対策の重点を教育者対生徒の信用関係におきました。一日の始まりはいつも明るい挨拶で、子供の肩に触れながら名前を呼ぶという行動を、教師全員が一日に何度も繰り返しました。それによって、子供たちに「あなたたちはとても大切なひとですよ」というメッセージを送り続けました。
 転入した多くの子供は日本の中学校に通っていましたが、残念ながらポルトガル語を話すことも、書くことも出来ませんでした。学園にとって一番簡単な受け入れ方は学年を下げて初級クラスに入れるか、特別学級を開いてポルトガル語を集中的に教えることです。
 しかし、この二者選択の方法を選べば、子供の自発心に悪影響を与える心配があり、クラスに溶け込むにも倍の時間がかかる心配がありました。
 そこで初日から普通の学級に組み入れ、先生方に生徒が早くクラスのレベルに追いつくことが出来るよう、特別カリキュラムを作成するようにお願いしました。これは決して簡単なことではありませんが、先生方の多くの努力と情熱のおかげで目的は達成しました。
 言語能力不足、内容不足のため不安な気持ちを抱いている子供たちですので、彼らの得意な日本語、音楽、体育などの科目では多く誉めることによって心の調和を保つように心がけました。クラスメイトにはいろんな面での手助けを頼み、そこから生まれるやさしい友情を通して、速く言語力を増やしていくことにも注意を注ぎました。
 私たちが受け入れた生徒らの中から、二つの例を取り上げてみます。【(1)日系二世の親を持つ日本生まれの男児】
 中学2年生までずっと日本の公教育を受け、生徒会長にもなっていました。しかし、親の事情のため、突然ブラジルへ帰国することになってしまいました。残念ながらポルトガル語の理解度はゼロに近い状態でした。
 高校入試まであと2年しかなく、あまりにも短い期間です。その2年で7年の学校生活を埋めるのは大変なことです。しかし、大変明るく積極的な子であったため、日ポ語辞典を一時も手放さず、みんなの手伝いの元で懸命にがんばりました。そのお陰で、2年後には高校に進学することができました。現在、彼は大学卒業間近です。【(2)多くのハプニングのため何度か学業を中断しなければならなかった男子(多くの子供たちと似たケースではないかと思います)】
 彼が5歳の時、最愛の父親が一人で日本へ出稼ぎに行きました。1年後には呼び寄せるので我慢するようにと言われましたが、1年たっても父親の生活条件がよくないので呼び寄せることができませんでした。その間、市立校に入学しましたが神経を使いすぎ胃潰瘍にもなってしまいました。
 5年間が経ち、小学校3年生の時やっと呼ばれ、まだ読み書きもあまりできないまま日本へ発ちました。日本の小学校に入学しましたが、日本語が分からないため、特別クラスで日本語の読み書きを覚え始めました。その幸せな生活は2年続きました。
 しかし、彼の人生を変える出来事がおきてしまいました。父親が突然、彼の横で過労からくる心臓発作で亡くなってしまい、非日系人の母親は日本にいる意味を失い、帰国を決意しました。
 私たちとの出会いはちょうどその時のことです。さびしそうな目をした12歳の男の子は、一生懸命自分の居場所を捜し求めていました。
 多くの引越しのため、日本語力もポルトガル語力もついていません。他の科目はもちろんゼロから始めなければなりませんでした。算数で言えば12歳にもなって足し算しかできない子でした。
 教育内容習得以前に問題もかかえており、きちんと授業を受けられるようになるまで2年もかかりました。被害妄想や、何か悪いことがまた起きるのではないかという怯え、彼はこの二つの中にうずまっていました。
 このようなケースに出会うたび、大人の責任の重大さが身にしみます。
 子供は学ぶ権利があります。将来を選ぶ権利もあります。時は前へ進むだけで、後戻りすることはできません。
 親はいつも子の教育の計画をたて、学生生活に負担のかからない道を選ぶ責任があります。
 出稼ぎに行くことを決めたのなら、日本の学校に入学させても、家ではポルトガル語を使い続け、ブラジル学校を選ぶならば、日本語を覚えるチャンスを与えることが必要です。せっかく日本へ行くチャンスに恵まれたのですから、2カ国語を自然に学ぶことで大きく将来を変えることもできるでしょう。

川村真由実(かわむら・まゆみ)

 大志万学院校長。USP体育学部卒後、校長資格取得。1984~2004年に日本語教師、04年から現職に就任以来、全人教育に邁進。