ニッケイ新聞 2009年9月29日付け
人類最初の人工衛星ヴォストークに搭乗した宇宙飛行士ガガーリンは「地球は青かった」と語ったのは1961年である。アメリカも負けてはいない。ケネデイ大統領が陣頭指揮に立ち「月に人を送り込む」とアポロ計画を発表し熾烈な宇宙時代の幕を開ける。これより少し前になるが、日本でもささやかながらロケット研究が始まっている▼東大の糸川英夫教授を軸に村田勉と垣見恒男や五木章夫らが開発した「ペンシルロケット」である。1955年に予算550万円で研究に着手した最初の実験は東京・国分寺で実施され直径1・9センチ、長さ23センチのものが水平に発射され大成功。この後、千葉県や秋田県で試験され秋田では30センチのロケットが高度600メートル、そこから水平に700メートル飛び海上に落下し関係者は飛び上がって拍手し喝采した▼この基礎研究が実を結び1970年には、日本最初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げられる。さる18日に日本の無人宇宙補給機(HTV)が宇宙基地に接続できたのも、糸川博士らの研究が積み重なってのことと理解したい。あの23センチから大型バスほどの大きさがあるHTVは4・5トンもの荷物を積載し高度350キロまでも飛ぶ▼喜ばしいのは、このHTVが日本独自の技術で造られたことである。勿論、打ち上げの最新ロケット「H2B」も完璧であったし、これは大いに誇りたい。宇宙開発には科学の力を総結集しないと成功は難しい。近頃はTVの生産・販売で日本の企業が韓国に敗北するなどもあるけれども、このHTV成功で技術力はまだまだ大丈夫と見たい。 (遯)