ホーム | 日系社会ニュース | 石川県人会=21世紀石川少年の翼=母県交流団6人を送別=「また戻ってきたい」

石川県人会=21世紀石川少年の翼=母県交流団6人を送別=「また戻ってきたい」

ニッケイ新聞 2009年9月18日付け

 ブラジル石川県人会(小堀勇会長)は、南米地域青少年育成協力事業「二十一世紀石川少年の翼」で母県から訪れた派遣団六人の送別会を八月二十六日午後、同県人会館で開催した。一行を温かく送り出そうと、県人会員や同交流事業OBなど五十三人が集まった。
 同交流事業参加者は、速見帆並さん(高一)、東明璃さん(高一)、山岸聖奈さん(高三)、山崎祐輔さん(高一)の四人。団長は石川県観光交流局国際交流課・交流協力グループリーダーの良澤和俊さんで、国際交流員の原口リリアンさんが引率した。
 一行は八月二十日から二十七日の滞伯期間中、アマゾン移住八十周年を記念し、アマゾナス州マナウス市のマナウス石川県人会を交流訪問。
 ホームステイを体験、工業団地や動物園、劇場、港を見学したほか、アマゾン川合流地点にも向かった。「ピラルクがおいしかった」と満喫した様子。サンパウロ州では、移民の入港したサントス市を訪問。サントス厚生ホームで高齢者を慰問した。
 最終日前日、四人は一週間の疲れも見せず、元気に会場に姿を現わした。小堀会長は「心ゆくまで歓談し、楽しい時間を過ごしましょう」とあいさつ。竹下康義さんの乾杯の音頭で、和やかに夕食会が始まった。
 二年半ぶりの再会に喜んでいたのは山岸さんと同交流事業で〇七年一月に石川県を訪問した清丸多美さん(18)。山岸さんの家にホームステイしていた清丸さん、「とても温かく迎えてもらいました」と思い返す。二人は、再会時に互いの顔が分からなかったと笑い合った。
 交流生四人が「涙そうそう」と「上を向いて歩こう」を歌った後、それぞれ研修の感想を発表した。山崎さんは「アマゾン川の合流地点が特に印象に残った」、速見さんは「サンパウロ市にビルが多いことが意外だった、東京のよう」、東さんは「ブラジルの人は日本の人に比べても温かい気がした」と笑顔で語った。両親がアイルトン・セナの大ファンで「セイナ」と名付けられたという山岸さんは「また絶対ブラジルに戻ってきます!」と宣言。
 良澤さんは、「子供たちの一生の思い出になったと思います。ぜひ石川県にも訪れて下さい」と感謝を述べた。記念撮影が行われ、九時半頃閉会した。