ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | いつ癒える悪夢の日の傷=軍政下の特赦法から30年=見直しの声が現政権分ける

いつ癒える悪夢の日の傷=軍政下の特赦法から30年=見直しの声が現政権分ける

ニッケイ新聞 2009年8月26日付け

 八月八日(土)、サンパウロ市ピナコテッカ駅博物館講堂を埋める白髪の人々―スクリーンには「私も捕えられ虐待された」「別の牢に移される前に牢の壁に投獄されていた期間を刻んだ」などと証言する映像が流れる。
 軍政下の迫害中、四〇年前の七月に始まったバンデイランテス作戦関係の証言の一部だ。聴衆の中に証言者も居るという現実が、迫害の歴史は続いている事を示す。
 一方、二十三、二十四日付伯字紙は、一九六四~八五年の軍政期に殺されたり行方不明になったりした人は四二六人、六四~七四年の左翼武装闘争で死亡した人は八〇~一一九人との数字も上げた一九七九年八月制定の特赦法関連記事を報じた。
 驚異的な経済成長を遂げた一方、多くの迫害が起き、今もその痛みに苦しむ人々がいる事は軍政下の歴史の一部。軍事政権批判やストライキなどで、投獄され、迫害された人の多さは、特赦委員会への賠償請求数六万四一五一件といった数字からも明らかだ。
 この法律は、父親が五年間投獄されていたという軍政最後の大統領ジョアン・バチスタ・フィゲイレードの下、八月二十二日に国会承認、二十八日に大統領裁可された。当初政治犯のみを対象とするはずだった同法は、外部圧力でテロ加担者や殺人犯などにも適用となり、後日軍人などにも適用される理由となった。
 この、被迫害者だけでなく迫害者にも適用という矛盾が、三〇年後の現政権を二分する事になるとは、同法の恩恵に浴したルーラ大統領らも考えてみなかった事だろう。
 迫害指揮の軍人将校が特赦法で老後安泰で暮らす一方、三〇年後も特赦が降りず、他者の支援を受けて暮らす人がいる。適用範囲変化と矛盾の指摘、見直し請求は弁護士会などから出、法務相らの支持を得たが、国防相らは真っ向から対立。
 迫害者への同法適用の是非は最高裁判断に委ねられた他、人権を巡る国際法廷での審理を求める国際社会からの声も。
 軍政下での迫害や人権蹂躙の事実を白日の下にさらけ出し、過ちを繰返さないため、新たな委員会が結成され、二〇一〇年にはベロ・オリゾンテに特赦記念館も建設というが、悪夢の日々を過ごした人々の傷はいつ癒されるのだろうか。