ニッケイ新聞 2009年8月8日付け
6日午前8時15分、「エノラ・ゲイ号」は上空9632メートルから原爆を投下、高度600メートルで核爆発を起こし、広島に壊滅的な被害を与える。このウラン爆弾はTNT火薬1万5千トンに相当し破壊力は凄い。広島市民は、1950年までに24万人も死亡し、瓦は焼け爛れ壁に映った影も印刷されたかのように残っている。そして、9日午前11時2分には長崎市が被爆する▼これはプルトニュウム爆弾であり、広島のよりも強力で15万人が死に追いやられる。あの半径200メートルに及ぶ火球は、太陽の表面温度と同じ8000度に達し、この物凄い爆風で建築物や家屋が炎上し倒壊する。昭和20年3月の東京大空襲にはB29が344機飛来し、投下された焼夷弾は1720トンに達し、東京には焼け跡だけが残る▼ところが、広島の「黒い雨」は、この東京大空襲の約9倍もの威力を持つ。長崎はもっと強力だった。あの原爆の日、広島の人口は35万人であったが、ポール・ティベット陸軍大佐の指揮で投下された世界初の原爆は瞬時に14万人の命を奪うという惨事となった。将に「恐怖」である▼昭和天皇は昭和20年8月15日正午の「玉音放送」で「敵ハ新ニ残虐ナ爆弾ヲ使用シテ無辜殺傷シ惨害ノ及ブ所真ニ測ルベカラズニ到ル」と話された。アイゼンハワー将軍も、時のトルーマン大統領に「対日勝利のために原爆の使用は不必要」と進言したのだが拒否され、原子物理学者らの原爆投下反対説も退けらたし、「原爆のない世界」への到達はまだまだ遠い。 (遯)