ニッケイ新聞 2009年7月31日付け
日本からの習慣でブラジルでも欠かさないことが幾つかある。八月五日午後八時十五分の一分間の黙祷もその一つだ。一九四五年八月六日午前同時間、世界初の原子爆弾が広島に投下され、無辜の市民が虐殺された。毎年その時間、広島市内はサイレンが鳴り響き、交通がストップする。一年に一分間だけ流れる故郷の独特の空気を思い出すのは、どうやらレジストロになりそうだ▼毎年十一月に灯篭流しを行なうことで有名な同地で、今年初めて原爆投下時間に合わせ、灯篭流しが行なわれる。ブラジル広島県人会、ブラジル被爆者平和協会、リベイラ沿岸日系団体連合会(FENIVAR)、レジストロ日伯文化協会の四団体が共催する▼「平和の尊さをブラジル人に伝えるきっかけになれば」―。そう話す発起人の平崎靖之さん(63、広島)は胎内被爆者。今年五月、国連本部で開催された国際NGO・平和市長会議で、被爆三世の女子児童が「広島に生まれた子供は原爆の恐ろしさを伝える義務がある」と訴えたことを思い出した▼サンタ・カタリーナ州のラーモス移住地に住む被爆者の小川和巳さん(80、長崎)が同地での原爆資料館建設に奔走している。長崎市に資料の貸し出しを要請した。市側でも日本とブラジルの両軸から、核廃絶の流れを作れれば、と協力する考えのようだ▼原爆投下後の広島では「六十年は植物が育たない」とまことしやかに囁かれたという。六十四年経った今年、日本の反対側のブラジルで、平和の大切さを伝える動きが芽吹いたことを嬉しく思う。 (剛)