ニッケイ新聞 2009年7月21日付け
サンパウロ市セントロのヴァーレ・ド・アンニャンガバウで十七~十九日、〃バイオンの王〃ルイス・ゴンザガ・ド・ナシメントの没後二〇周年記念集会が開かれ、二〇万人余りの人が集まった。
この集会はサンパウロ州文化局主催で、ゴンザガの弟子のエウバ・ラマーリョ、ドミンギーニョ、アウセウ・ヴァレンサらが、三日間の企画を盛り上げた。
二十日付伯字紙によれば、十九日にはバイオン好きのセーラ州知事も舞台で歌った他、ノルデステの郷土料理の店なども出てノルデステ出身者が郷愁に浸ったりしたが、やはり、最大の魅力はゴンザガが広めた音楽だ。
〃アーザ・ブランカ〃などで知られるゴンザガは、一九一二年十二月十三日、ペルナンブコ州エシュー生まれ。農業を営む傍らアコーデオンを弾いた父の影響で、ゴンザガも若い内から父と共にバイレやフェイラでアコーデオンを演奏した。
そんなゴンザガの転機は、一八歳で心惹かれた女性との交際を禁じられた事。反発して家出後、軍に入ったゴンザガは、約一〇年の軍隊生活で、ミナス州兵士でアコーデオン奏者としても知られていたドミンゴス・アンブロージオ氏と出会い、音楽やアコーデオン奏法の手ほどきを受けた。
その後ゴンザガは、本格的に音楽へと考え、一九三九年に退役。
当初はリオで当時流行していた曲を弾くだけだったゴンザガは、やがて、歌手また作曲家として開花。ノルデステ独特のリズムやその生活を盛り込んだ歌詞で多くの人々の心を掴んだ。
一九四〇年から五〇年代には国内のレコード売上最多を記録し、エルビス・プレスリーやネルソン・ゴンサウヴェスに次ぎ、米国RCA社から表彰されると共に、アコーデオン奏者、歌手、作曲家として、サンパウロ市など、ノルデステ出身者の住む町々を訪れ、絶大の人気を得ていったゴンザガ。
重たいアコーデオンを担ぎ、歌い続けたゴンザガは、晩年は骨粗鬆症のために背中を丸め、松葉杖を使って歩くことを余儀なくされた。一九八九年六月六日のショーを最後に、八月二日に亡くなったが、彼の音楽は没後二〇年経った今も生き続けている。