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日伯論談=第11回=ブラジル発=島袋レダ=両国政府に対する日系社会からの提案

2009年7月18日付け

 デカセギ現象は、日伯間における労働需要と所得の橋渡しをするメカニズムとなっており、多くの人に良い結果をもたらしている。
 しかしながら、日系社会の歴史において以前に経験したことのないレベルで、アイデンティティーや自信、自己評価の喪失といった重大な影響を感じている。懸念するのは、今後の世代に不安定な基盤を残す風潮があるということだ。
 我々の祖先が持ってきた規範を見直し、埋もれた自尊心を取り戻す時期に来ているのではないだろうか。これは、今世紀の挑戦である。
 というのも、ブラジルからの出移民政策は、今後も長い時間をかけて吟味されねばならない問題だ。
 その挑戦は今始まったばかりだ。我々コミュニティは助け合う義務がある。ブラジル政府、日本政府の手を借りながら、自らの権利を回復するということも含まれる。
 デカセギからの年送金額二十億ドルは、ブラジルの国民総生産の中でも大きな比率を占めている(日本の彼らの雇い主はその何倍もの金額を得ているのだろうが)。
 一方、彼らは両国政府から、何の補助も受けられず、教育、福利厚生の行き届かない生活状況に置かれているのだ。
 当局担当者や関係者の方々に敬意を払いつつも、「セミナーやフォーラム等での議論や講演をやめ、すぐさま現実的な解決策を実行する時期に来ている」と進言したい。
 戻ってきたデカセギ労働者の体験をもとに日系社会からの提案は、以下のようなものがある。
 (1)二カ国間で、社会の公平を謳う差別がない政治を実現すること。
 (2)国際法の効力によって人種差別、社会的差別、少数派の外国人に対するいじめを禁止し、雇用機会の均等を目指すこと。
 (3)ブラジル人が集中する日本の各都市で、領事館による支援を強化すること。
 (4)人材派遣会社や日本企業に対し、デカセギ者の職歴証明書の発行を義務付けること。
 (5)デカセギで渡航した時の苦労を少しでも減らせるように、最低限の日本語(ひらがなや日常会話といったところだろうか)の事前習得を義務付ける。
 (6)日本での就労者に人として生きるために必要最低限のことを行う十分な時間、条件を与えること。例えばそれは、歯医者・医者へ行く、心理学のセラピーを受ける、健康診断を受ける、配偶者や子供と過ごす時間を持つ、趣味を楽しむなど。
 (7)帰伯したデカセギたち、特に若者たちの社会再適応を支援するシステムを構築すること。
 (8)国際化し専門性を身につけ戻ってきたデカセギ日系人を支援し、職を提供すること。
 (9)構成家族を組んで日本からやってきた先駆移民のように、家族の離散を防ぐよう、少なくとも三人の就労者がいる家族には、同じ企業や同じ地域にいられるなど配慮した条件を提供すること。
 (10)外国から戻ってきた就労者たちに税金の免除や減税を施し、ビジネスのチャンスを与えること。
 国際化した世界は、何かに強制されることなく自由に行き来する権利で溢れ、実際大変に小さいものであるということを認識する必要がある。
 理想としては「行っていらっしゃい!(出て行って、そして戻ってきても良い)」という新プロジェクトの導入である。
 全てのブラジル人は世界のどこで暮らし、就労しようとしても、基本的な人権や労働の権利が守られた状態にあることが理想である。さらに、故郷の社会に戻ってくるという権利を保証する法律に支えられて、デカセギという一つのサイクルは成り立つ。
 デカセギという存在が、二カ国間のもっとも強い結びつきであるという認識がはっきりしてきている。
 デカセギは、信頼し投資するに値する存在であり、その投資は彼らの人間性、専門性を高める。二カ国間を行き来する彼らが両国の中間に立ち互いの国の理解を促すならば、両国で社会的、経済的に大きなものを獲ることができるだろう。
 最後となるが、彼らは我々のコミュニティの一員だ。働く意欲を見せること以上に立派な振る舞いなど、他にそれほどないだろう。

島袋レダ(しまぶくろ・れだ)

 1980年7月、パウロス・グラフィックアートデザイン・コミュニケーション会社・代表取締役に就任。99年10月から日系グループ慈善促進協会(Grupo Nikkei)会長兼コーディネーター。01年4月「ただいまプロジェクト」を開始、同プロジェクトの代表。05年8月から07年3月、ブラジル日本移民百周年記念協会「あしあと委員会」委員長。