ニッケイ新聞 2009年7月17日付け
十六日朝グローボ局が、教育家で児童文学家でもあるロベルト・カルロス・ラモス氏の半生の映画化を報じた。
「民話の語り部」と題する映画封切りは八月七日だが、試写会出席者全員が感動したというラモス氏の半生はどんなものだったのか。
現在四三歳のラモス氏はミナス州ベロ・オリゾンテ生まれ。一〇人兄弟の末っ子で、六歳の時母に捨てられ、一三歳までは人の愛も知らない文盲の問題児だった。
州の施設に連れて行かれたきり家族の顔も見ずに育ち、荒れる生活。麻薬にも手を出し、町で窃盗を繰り返す。捕まると少年院に入れられるが、脱走すること一三二回。皆が「お前なんかろくなものにならない」とか「更生のしようもない」という様な少年だった。
そんな少年に転機が訪れたのは一三歳の時。ある日、再び少年院に連れて来られたばかりの少年に近づいた婦人が、膝に手を置き「話してもいいか」と訊いてきたのだ。
初めての体験に驚いた少年は、発音に癖があり文法も間違いだらけの婦人の話を聞き、きっとキチガイだと考えてその場を逃げ出したという。
ところがその三日後、町中で婦人から呼び止められた。最初は婦人の金時計を奪って逃げようと考えた少年は、一週間自分の家に来て話を聞かせて欲しいと頼まれた。
驚きつつも、家に行けば別の物も盗めると考えた少年は、婦人の家でフランス語を習う一方、浮浪児達の言葉を教えた。
初めて人にものを教える経験後、正式に養育権を獲得した婦人と渡仏。読み書きと共に愛し愛されることを学び、自分自身の価値も見出していった少年は、語り部としての才能も発見し帰伯。教育学を収めた後、民話や童話普及の働きに身を投じる事となる。
国内はもとより、世界中で、ヨーロッパやアフリカ、先住民の伝承や民話、物語の語り部として活躍するラモス氏。その一部は民話や児童文学普及用に録音販売されているが、皆が匙をなげ、更生などありえないと考えた少年の生涯が、一人のフランス人婦人との出会いで大きく作り変えられていった激動の実話は、広く人々の心をつかんでいくことだろう。