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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2009年7月15日付け

 先週、岸信介が五九年に現役首相として初来伯した折り、コンデ街でミカン箱の上に立ち、田村幸重の応援演説をしたという逸話を、岸本人が本の中で語っているそのままを引用して紹介した。ところが意外な〃真実〃を指摘してくる人がいた▼「あれは田村じゃなくて、京野四郎でしたよ。私がその場にいましたから間違いありません」とは水野昌之さんだ。『バストス二十五年史』なども編纂した移民史に詳しい人物であり、まず間違いない。しかも「無理やり立たされた感じで、イヤそうな顔をしていましたよ」という▼パウリスタ新聞をひっくり返すと同二十八日付けに「岸さん、ちょっぴり感激」との見出しで、三千人が熱烈に出迎えたのに感激した様子で笠戸丸移民数人と握手し、「移民発祥の地と聞き、非常な感激である」と前置きし、二世三世を清く正しく育ててほしいと約五分間に渡って論じ、最後に「盛大な歓迎を受けたことは生涯忘れられないだろう」と結んで降壇したという▼現場にいた人の目、記者の感覚、本人の意識。それぞれが微妙に違っているが、みな真実だろう。ズレているというより、複眼で一つのことを見ているようで逆に興味深い▼岸元首相といえば、現役総理としては珍しく北伯野球連盟に優勝旗を寄贈したことも。それがなぜか数年前にサンパウロ州沿岸部の骨董市で売られており、「こんな貴重品を」と見るに見かねたある戦後移民が買い取って、岐阜県人会に善処を依頼していた件もあった。アマゾン移住八十周年の今年、ブラジル球連に渡されたと聞く▼かくなる上は、孫の安部晋三元首相に九月の式典に来てもらえれば―と話題は尽きない。(深)