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笠戸丸新文書が本に=移民の日に出版記念会=「見栄えよくない」

ニッケイ新聞 2009年7月1日付け

 サンパウロ州印刷局(ウベルト・アルケーレス局長)は州公文書館と共に、六月十八日夜に文協ビル内の移民史料館九階で、サンパウロ州農務局内で発見された新文書を含む笠戸丸移民名簿をまとめたポ語書籍『Kasato-Maru(笠戸丸)』の出版記念会を行い、約八十人が集まった。
 会場となった史料館九階には、笠戸丸移民の宮城伊八氏が残した三線、園田ナオエ氏の墨壺、宮平カメ氏の勲章に加え、皇国移民会社社長の水野龍氏のステッキ、〃神代の時代〃の明穂梅吉氏の日本刀なども展示されている。
 まず印刷局を代表し、富岡テイジ氏が「セーラ知事は読書好きで有名な通り、我々に『貴重な記録を残せ』と日々指示している。その成果がこれだ」と挨拶した。
 文協の木多喜八郎会長も「この本は州政府の注目を示す。独自に日本移民の価値を普及してもらってありがたい」と感謝し、大部一秋総領事も「将来の世代にために有意義」と賞賛した。
 今回出版された本の中心となるのは、州公文書館の片隅で昨年発見された、一九〇八年四月三十日付けの笠戸丸乗船者名簿と、それに付随した注意書き説明文書(本文三枚)だ。
 笠戸丸が神戸から出港した二日後に、横浜の在日ブラジル領事館のアルシーノ・サントス・シルバ領事からサンパウロ州農務局長宛てに送られた。
 乗船者名簿は同二十二日に皇国植民会社が作成した八百四十一人分で、出発しなかった人の分は横線で消され「RIU」と添え書きされており、水野氏の署名のようだ。
 最終頁には、契約移民数がはっきりと七百八十一人と英語で書かれている。それに加え、自由渡航者、移民会社関係者ら八百二人が乗船したので、二十三日以降に三十九人が土壇場でキャンセルとなったようだ。
 興味深いのは注意書きの方で、「十二月三十日に生まれた赤ん坊でも一月一日には二歳と計算して名簿の年齢欄に書かれている」などと数え年の解説もされている。
 また名簿の「家長」欄に書かれた名前は、移住する家族の中の家長ではなく、日本の家長が書かれていることにも触れ、「間違いやすいので注意」としている。
 また旅券を発行した各地の役所で書式が定まっておらず、地域によって個人または家族ごとになっていて統一されていないと注意している。
 このように当時の日本社会において、まだ移住自体が一般的ではなかった状況が伺われる。
 領事は「まったく習慣が異なる地から、初めてのブラジルへの移住であり、これらの手続きの不慣れを免じてほしい」と依頼し、「ただし今後、我々の法規に従った手続きが可能な限りされるべき」としている。
 さらに「移住者の印象は、酷く悪いものではない。表面的には、身長が低く、頑強というよりは弱そうに見え、見栄えは良くない」と観察するが、沖縄出身者に関しては「頑強で重労働に耐えそうな良い側面をもつ」とし、「この地方は農業が盛んで、従順、活動的であり、サンパウロ州に向いていると評価」と見ている。
 さらに「日本人同士でも方言があるために会話に通訳が必要な状況だ」とも書いている。
 結論として「白人移民の比べ、三分の二程度の労働量しか期待できないので、賃金もその割合にすべき」と記し、「日本人は、他のどの移民に比べてもOYABUN(親分)に盲従する」との特徴分析も書かれている。
 桜井セーリア氏と共に執筆陣に加わったジェフリー・レッサー米エモリ大学教授は、ニッケイ新聞の取材にこたえ、「笠戸丸に関する新しい資料がブラジル側で見つかり、出版されたことは非常に重要」とのべた。