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〃POPの王〃を偲んで=リオやバイアで追悼の意=音楽への道固めた出会いも

ニッケイ新聞 2009年6月27日付け

 二十五日夜、世界中を走った〃マイケル・ジャクソン死す〃の報道は、ブラジルでもインターネットのパンクその他の反応となって表れた。
 二十六日付伯字紙やサイトもメイン扱いし特集ページも出たりと、外国人としては破格扱いだ。
 七月のロンドン・コンサートを楽しみにしていた人も多く、国内での反応も様々だが、〃POPの王〃Mジャクソンは、九三年のサンパウロ市コンサートと、九六年のリオとバイアでのビデオ録画でブラジルの土を踏んでいる。
 国内でも反応が特に大きいのは、九六年の録画会場となったリオやバイアで、リオ市サンタマルタの丘、通称ドナ・マルタのファヴェーラには、追悼の垂れ幕が掲げられた他、録画の際に使った場所は「Mジャクソンの間」と命名され、記念の像も建てられるという。
 また、バイア州サルバドール市でも、アフリカ系ブラジル人文化団体オロドゥンのジョアン・ジョージ・ロドリーゲス会長らが「Mジャクソンのビデオクリップにより、五〇億人以上が自分達の音楽を聞いたはず」とし、追悼の意を表明した。音楽でも高い評価を受けている同団体メンバー二一五人は、九六年の録画時にMジャクソンと共演している。
 録画時にMジャクソンの背後で演奏し、独特な髪型とタイコを頭上で叩くパフォーマンスで一躍有名になったビラ・ジャクソン氏は、葬儀で追悼演奏したいと発言。
 同様に、録画中に肩に手を置かれ、いぶかしがる内にMジャクソンが踊り出したため、自分もタンバリンを手に躍り出し、〃マイケルと踊った少年〃として知られ始めた当時一二歳のジャゾン・W・デ・ジェズース・ケイロス氏は、彼との出会いが音楽への道を決めたと述懐している。
 その他にも、Mジャクソンの真似をする事で音学やダンス、照明の仕方なども学んだというサンパウロ市の男性など、音楽家やファン達が、ブログなどに追悼の意を表明した。
 晩年は様々なゴシップも流れたが、ポップからロック、ファンク、ソウルまでこなし、訪伯時には玩具会社へ行き、ブラジルの子供へのプレゼントに大量の玩具を買い込むなど、庶民との触合いを好んだ音楽家Mジャクソンは、ブラジルでも多くの人の心を捉えていた様だ。