農協婦人部連合会(ADESC、内海千代美会長)の二十二人が先月二十五日からボリビアを訪れ、同国日系コロニアとの交流、現地視察の旅行を行なった。ADESCはこれまでにパラグアイを二度訪れており、今回が三度目の国外訪問。一行は二十九日まで五日間をかけてサンタクルス市、サンフアン移住地、オキナワ移住地を回り、各地日系コロニアと交流を深めた。(長村裕佳子記者)
今回の訪問には「ボリビアに会いたい人がいる」というADESCのメンバーたちの思いがある。
きっかけは、ADESCが共催してブラジルで開催されている農協婦人セミナーに二〇〇七年に七人、〇九年に三人が同国のオキナワ移住地から参加し、交流を持ったことに遡る。
「オキナワ移住地の人たちはセミナーでボリビア民族舞踊を披露してくれたの。自国を大切にする思いにみな圧倒されたのよ」と嬉しそうに話すのは、副会長の吉泉美和子さん。
この交流から再会を胸に、今訪問を決意。フェイラで資金を稼ぎながら、毎月五十レアルの積み立てを開始した。そして積み立てを始めてちょうど二年が経過した今年五月、その念願が実現することになった。
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二十五日、グアルーリョス空港からサンタクルス市ビルビル空港に到着した一行は、バスで市内から百三十二キロ離れたサンフアン移住地へと向かった。バスの窓には平坦な農地が広がっている。
サンタクルス県サンフアン・デ・ヤパカニ・コロニア。通常サンフアン移住地には、戦後九州地方から移り住んだ人が多い。一九五五年に入植を開始し、五七年頃から移住が本格化。三百家族以上、約千七百人が入植した。
六五年にサンフアン村自治体が結成され、その後サンフアン日本ボリビア協会と改称。現在日系人は二百二十九家族、七百四十八人が在住する。
移住地内にはボリビア学園やサンフアン日系コロニア診療所などの施設がある。中学三年生まで日本語授業を受け、八割の子が日本語検定一級まで取得できるという。
バスで約三時間、移住地に到着したADESCの一行は、サンフアン農牧総合協同組合(CAISY、田島浩司組合長)の皆さんから歓迎を受け、その後、組合会館でセミナーが開かれた。メモを手に、同組合の近藤勇総支配人の説明に熱心に聞き入る。
サンフアン組合は組合員数百三人、平均土地所有面積は二百八十ヘクタール。同地の八五%の農家が加入している。
主な作物は米、大豆、養鶏、マカダミアナッツ、柑橘類。卵はラパス市、サンタクルス市内へ出荷。マカダミアナッツは米国、欧州まで輸出しているという。
米は日本米ではなく、ブラジル米を栽培。卵は同地では赤卵しか売れないという。一行は興味深そうに聞き入っていた。
午後からは、日本ボリビア協会文化交流会館で同組合とサンフアン日本ボリビア協会(日比野正靭会長)共催による昼食会が開かれた。サンフアン連合婦人会員らもかけつけ、総勢四十三人が集まった。
初対面の人も多い中、会場は自分たちの町の様子や農作物の出来についてなど情報交換の場に。夫人とともに参加した男性陣もその賑わいに圧倒されていたようだ。
日本から来て働いている同協会の森坂勝事務局長は、「皆さんは普段から日本語で会話されるのですか。本当にお上手ですね」と感心した様子。一方のADESC一行からは、「日本語で交流できて嬉しい」という声も聞こえた。
日比野会長は「ボリビアで我々なりに努力してきたのを知ってもらう機会にしたい」と挨拶。「我々の活動において、両国の婦人たちに活躍してもらわなければ」とエールを送った。
交流会の最後は、輪になって「ふるさと」を合唱した。「今日からこの地も私たちの故郷の一つ」とADESCの皆さん。楽しいひと時を過ごし、また一つ故郷が増えたようだ。(つづく)
写真=サンフアン移住地の皆さんとADESCの一行