ニッケイ新聞 2009年6月20日付け
二〇〇九年春の叙勲伝達式が十七日午後三時から、サンパウロ総領事公邸で行われた。受勲者の家族や親戚、知人らも含め、約五十人が祝賀に駆けつけた。同管内の邦人受勲者は森山榮さん(90)、外国人受勲者は森和弘さん(78、二世)、三浦美恵子さん(54、二世)で、この日、大部一秋総領事から勲章・勲記が手渡された。同日午後七時三十分から文協貴賓室で祝賀会が開かれ、三十九日系団体の代表、家族・知人ら百三十人を越える人が集まり、受章した三人を祝福した。
旭日双光章を受章した森山さんは福岡県出身。サンパウロ州アリアンサ移住地やグァラサイ市で自宅を開放し、四十七年間無報酬で日本語教育に取り組んだ。
一九五九年に設立されたミスタ・デ・ゾウナ・デ・ミランドポリス産業組合の第二代目理事長を十三年間務め、組合の発展に尽くすとともに利益の還元を増やし、組合員の生活の安定向上を実現。さらにグァラサイ日伯文化協会の会長として、日本人移住者の社会的地位の向上に寄与した。
大部総領事から勲章・勲記を伝達され、森山さんは「日本国民として生まれ、十四歳でブラジルに来ました。国家の勲章をもらえるなんて夢にも思わなかった。人生最高の幸せを感じる」と謝辞を述べた。
森山天拝として五十年以上川柳を続けている森山さん。本紙の取材に自身の作品、「泣くも酒 笑うも酒 人の道」を披露した。
旭日双光章を受けた森さんは、スザノ市内に診療所を開設、移住者や日系人の医療に貢献した。八八年以降は日系老人ホームでの訪問診療を行ない、特に日本語での医療は好評だったという。
日系団体の活動でも、汎スザノ農事文化体育協会(アセアス日系)の創立に寄与。七八年に同協会の総合運動場を完成させた。〇六年には同協会内にスザノ日伯学園が設立され、初代理事長に就任。若手日系人や非日系人に日本文化、日本語を普及している。
森さんは本紙の取材に対し、「親父に良いブラジレイロになれました、と報告できる」と喜びを語った。伝達式に同席した兄の森正秀さん(86、高知)は「人に優しく世話好きです。喜ばしいことです」と語った。
瑞宝双光章を受けた三浦さんは、七三年から七年間、在サンパウロ日本国総領事館で電話交換手兼各種公文書作成担当として勤務。その後八八年から二十年間、広報文化職員として勤め、国費留学生の募集、選考事務を担当し、総領事館と帰国留学生との人脈維持に貢献した。
九五年から開始したJETプログラムでも募集・選考に携わり、帰国した参加者との人脈維持に貢献。さらに、海上自衛隊練習艦隊のサントス寄港時(八〇、八九、九三年)には受け入れを担当した。日伯両国にとって女性が受け入れを行ったのは稀で、自衛隊員から「マドンナ」と呼ばれ親しまれたという。
三浦さんは「多くの領事が交代してもいろいろな仕事を与えてくれ感謝している。勲章は私一人のものではなく、家族や同僚のおかげです」と語った。妹の今村マリルさんは「優しく、親孝行な姉です」と感激をあらわにしていた。
夜の祝賀会では受勲した三氏が紹介され、日伯両国の国歌が斉唱された。主催団体の代表として木多喜八郎文協会長が挨拶に立ち、「日伯交流に力を尽くしたことを嬉しく思う。次世代の若者を導いてください」と祝辞を述べた。
総領事館の丸橋次郎首席領事は「受章は一人では出来ないこと。今日は家族や友人、同僚の支援にも感謝し、祝福したい」と述べた。
会には三人の家族や親戚を始め、日系団体の関係者ら約百三十人が祝福に駆けつけた。三人の周りには常に人だかりができ、話をしたり記念写真を撮るなど、お祝いムードに包まれた。
七月には旭日小綬賞の受勲が決まっている川田敏之さん(79、長崎県)への伝達式が、在マナウス日本国総領事館で行われる。