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日伯論談=第7回=ブラジル発=デカセギ現象の回顧と展望(上)=渡部和夫=子供の教育責任は誰に

2009年6月13日付け

 すでに多くの専門家が、各々の経験に基づいた知見をこの欄に書いた。世界同時不況によって多くの在日ブラジル人が失業状態にあり、相当数(五~八万人)が一定期間に帰伯するだろう。
 しかし、それでもかなりの者が日本に残る。長期的展望の下、定職を持ち、家を買い、子供を学校に通わせている。二宮正人CIATE理事長は「日本の大学での在学・卒業者は百人以上」とのべており、帰伯後の問題も、中川郷子女史の文章に詳述されている。
 ここでは、デカセギ現象の回顧を通して、在日ブラジル人とその子弟、ブラジルにおける日本文化、日本におけるブラジル文化に関する将来展望を分析してみたい。
 最初に、在日ブラジル人も日本に行く前は、ブラジルの日系コミュニティの一部であり、誠実さや勤勉さ、遵法精神、敬老精神、協調性、連帯感、子弟教育に重きをおくことなどの気持ちは共有していたと考えていることを確認したい。
 ところが、在日ブラジル人やその子弟には、倫理観や組織性の高さで世界的に知られた日本において、法律や社会の規範を守らない現象が起き始めている。
 どんな社会にも幾分は否定的、例外的な分子がいるのはさけられない。ただし、圧倒的多数はブラジル日系社会と同じく文化的な素養をもっているはずだ。
 この現実を見るにつけ、日本社会には在日ブラジル人や少年を非行に走らせる要因があるのではという疑問が湧く。
 岡村・サカイ・ラウラ・ケイコ女氏の研究論文「少年犯罪(在日ブラジル人労働者の子弟)」には驚くべき事実が書かれている。九三年に日本の少年院や少年刑務所にいる、もしくは保護観察中のブラジル人少年は七人しかいなかったが、二〇〇一年には二百二人に急増し、〇二年には六カ月間だけで四百七十九人にもなったとある。
 岡村女史の記述によれば、「この事実には奇異な印象を受けた。私はサンパウロ州少年矯正施設(FEBEM)で二十六年間勤務した間に世話した日系少年犯は、一ダースに満たないものだった。ところが日本では短期間にこれだけの件数になっている」とある。
 いろいろな原因が考えられるが、その重要な一つは、学校に通わない子供を心配することのない両親の、子弟教育への配慮のなさもある。両親は稼ぐことに夢中になるあまり、子供との時間を重視しない。
 家族以外の要因もある。同級生による「イジメ」、日本語能力の低さから公立校の授業についていけず、かといってブラジル人学校の高い月謝が払えないなどの状況もがある。
 ブラジル人の管理を超えた問題として、日本の義務教育制度がある。公立校において、義務なのは日本人の子供だけであり、外国人はそうではない運用がされている。
 日本の公立校は外国人児童・生徒も含めた対応をする準備があり、外国人両親が日本政府によって与えられているその機会を活用しないのなら、子弟教育の責任は両親にこそあるという。
 ただしブラジル側の見解は少々異なる。基礎義務教育は外国人も含めた全ての子弟に義務である。日本移民がブラジルに来てからの百年間、常にそうであった。幼少年期、ブラジル学校と日本語学校は両方とも義務であった。片方はブラジル法規により、もう片方は両親の判断によってだ。
 この教育方針の違いが示すことの一つは、次のことではないか。
 ブラジルは外国人とその子供を移民と考えて社会に招き入れたが、日本は外国人労働者とその子供と考え、社会の異物として扱っている。その結果、不登校になっても放っておくことにつながり、法律を守らない、社会秩序を乱すものを生み出す原因になっている。
 二〇〇二年にブラジルで開催された国際シンポジウムで「サンパウロ・ロンドリーナ宣言」が出された。ここでは両国政府に対して「未成年者が教育を受ける権利」についても言及されており、日本でビザ更新する際に、子供が学校で学んでいることを証明する必要があるなどの条件をつけることを提案している。
 だが、日本政府は外国人子弟が不登校になった結果起きた犯罪に対処することに目を向けるあまり、根本的な原因からは目をそむけている。
 まるで不登校は、外国人の触法少年の両親やブラジル政府の問題と捉えているかのようだ。(つづく)

渡部和夫(わたなべ・かずお)

 弁護士。サンパウロ州バストス市生まれ。サンパウロ州立総合大学法学部卒、日系組合顧問弁護士を経て、日系初の州高等裁判所判事に就任、同法学部教授も務めた。ブラジル日本文化福祉協会の前評議員会長、百周年記念協会顧問。73歳。