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次の百年戦略のために=~日系社会とは何か~=第1部《世界史の視点から》(11)=「コロニア語」は財産=言語も〃移住〃し定着

ニッケイ新聞 2009年6月11日付け

 普通、ブラジルはポ語だけだと思われているが、実は多言語大国でもある。
 マラニョン州の地方紙「O IMPARCIAL」〇八年三月一六日付けには、「国連発表によれば世界には七〇〇〇の言語が存在し、ブラジルは言語数では世界九位の多さだ」との記事がでた。
 ブラジルには二一五もの言語が存在し、うち一八〇はインディオの言葉だ。最も多言語な都市はアマゾナス州サンガブリエル・ダ・カショエイラ市。二三言語(大半はインディオ言語)も使われており、〇四年には同市議会が「tukano」「nheegatu」「baniwa」の三言語を、ポ語と同じ市公用語に制定したほどだ。
 一九世紀以降、移民が持ち込んだ言語も独特の適応を果たして定着した。つまり、移民と共に〃移住〃した言葉だ。
 例えば「タリアン(Talian)」と呼ばれるイタリア北部方言がブラジル化した言語の話者は、南大河州を中心に二〇〇万人もいるという。
 ドイツ移民が持ち込んだドイツ語方言である「hunsruckischi」もサンタカタリーナ州、パラナ州、麻州の子孫の間で話されている。
 当然のこと、日系社会で使われている「コロニア語」もこの移民言語だ。邦字紙に現れる読者の投稿、文芸欄の短歌や俳句などの作品は、日本にはない独特の季語、ポ語をカタカナにした借用語などが溢れている。
 これは、ブラジルという別の思想体系・社会背景での生活経験の中で生まれた、独自の日本文化、日本語方言だ。同質性の高い現在の日本文化に多様性をもたらしたという意味で、日系社会の貢献だ。異なるゆえに貴重な財産だといえる。
 〇八年二月二九日付けポルトガル国営通信によれば、ブラジルはポ語帝国となるために歴史的に〃言語的な大虐殺〃を繰り返してきた。「特にバルガスのエスタード・ノーボの時代には、外国人移民とその子孫たちも暴力的な圧迫を受けた。あの時代、〃教育の国粋化〃が叫ばれ、移民の言語に終止符を打とうとしたが、hunsruckischiもタリアンも生き残ってきた」と記述する。
 一九三七年に一四歳未満者に外国語教授禁止令、三八年一二月二五日をもって全日語学校四七六校が閉鎖され、四一年には邦字紙廃刊となった。戦争中、警察に家宅捜索されてラジオ没収、日語書籍を焼かれ、ブラジル人に隠れて日語を学んだ経験のある人は多い。
 しかし、今世紀にはいりブラジルは言語政策を大転換させつつある。同通信によれば、ブラジル言語の多様性に関する作業部会が〇六年に設置されて研究が始まった。これは「言語の多様性を認める」方針を検討し始めたことを意味する。
 むしろ現在は、国粋化の嵐に耐え抜いて移民言語が生き残ってきたために、逆にポ語に深い影響を与えていることが注目されている。
 黒人が持ち込んだアフリカ言語やアラブ系言語の単語がバイーア州などの北東伯で、サンパウロ州では日語も影響し、南伯ではイタリア語、ドイツ語などが強く影響した。とどめを刺すように英単語が大量に持ち込まれ、当地のポ語は独自の表現を多く持つようになった。
 その結果、世界のポ語表記統一(今年一月から施行)が行われる過程で、ポルトガルのポ語アルファベットは二三文字しかなかったのに、ブラジルの影響で「K」「W」「Y」が加えられることになった。
 この三つは元々、外国移民の名前や外国語からの借用語がブラジルのポ語に取り込まれ一般化し、それがポ語表記統一に影響を及ぼし、最終的に世界的標準に採用された。
 ブラジルポ語辞書アウレリオ第二版を見ても「K」の項には六〇語しかないのに、日語から入った単語は「歌舞伎」「神風」「カラオケ」「気」「狂言」と五つもあり、八%を占める。グローバル化による日本からの直接の影響の部分もあるが、「一世」「二世」など移民が独自に持ち込んだ言葉もかなり入っている。
 言葉一つとっても、文化には相互侵食作用がある。日本移民は言語の〃大虐殺〃に甘んじてきたわけではない。むしろ、ブラジル文明建設に積極的かつ多面的、双方向的な役割を果たしてきた。(つづく、深沢正雪記者)