2009年6月6日付け
年末年始、取材で何回か浜松を訪ねた。失業問題は想像以上に深刻であった。だが、この「デカセギ始まって以来の危機」の中、私はまた、ある種の希望も感じた。
日本語を学ぶ意識の広がりと、ブラジル人自らが助け合う互助グループの誕生である。必要に迫られての現象だろうが、この危機を乗り切ったとき、本当の意味で初めてデカセギは日本社会の一員になれるのではないか。そんなかすかな予感を覚えたのである。
裏返せば、私は従来のコミュニティー(というよりコミュニティーの不在)にかなり不満を感じていた。ひと言でいえば、不就学や少年犯罪への無関心、当事者意識の欠如、そして少なからぬ人々に、日本社会に適応する意思が薄かったことである。
もちろん、どんな集団にも「ダメな人」はいる。しかし、ブラジル人社会では、リーダーになり得る人々がこうした仲間の問題解決に動こうとせず、他人事のような顔をしていた。少なくとも私には、そう思えた。
三十万人もの人々の一割でも五%でも結集して団体をつくれば、さまざまな問題に取り組めるし、日本政府や世論に対する発言権も持てる。しかしこの二十年、そうした動きは見られなかった。
こういうと決まって、日本人はマイナス面ばかり強調する、報道が偏っている、日本の閉鎖的な社会こそ問題だ、といった反論に出会う。私は必ずしもそう思わないが、百歩譲って反論が正しいとしよう。
では、直面する問題は、いつの日か日本の社会、日本人の気質が変わって解決されるまで放っておくのか。もしかしたら、私たちが生きている間に「その日」はやって来ないかもしれない。「一部の人の問題」は必ずや巡り巡って、ブラジル人全体のイメージとなる(すでになりつつある)。
それは日本人の「偏見」のせいかもしれないが、結果的に「イメージ」の被害を受けるのはブラジル人自身である。
あるアルゼンチン人の友人がこんなたとえ話をした。外国人の入居を拒むアパートの多さを批判するより、一人でも多くの大家と信頼関係を築き、借りられる部屋を増やした方がいい。
その方が、今、困っている仲間の解決になると。困難を日本社会のせいだと主張し続けるより、まずは自分たち自身が行動する。その方がずっと解決が早いのである。
「2ちゃんねる」という悪名高いネット掲示板がある。さまざまな外国人への差別的な言葉があふれている。だが以前、私はそこに「ブラジル人を見直した」という書き込みを見つけた。
浜松でホームレスへの炊き出しを続けるブラジル人グループの活動が、この日本人の見方を変えたという。「偏見」を変えるのは、言葉より行動なのである。
多くのブラジル人はこれまで、専門の派遣システムに守られ、日本人と深くかかわる必要もなく暮らしてきた。犯罪に手を染める仲間、学校に行かない子供がいても、無関心だった。「日本人の目」も、気にしなければそれですんだ。
昨年は移住百周年ということで、不就学などデカセギの問題を考える集会も多かった。しかし多くの場合、主催者も参加者も日本人ばかり。ゲスト以外のブラジル人は数えるほどだった。
「だって、ブラジル人はそういうイベントに興味がないから」。知人の三世の言葉に私は絶句した。奔走するボランティアや自治体職員が、とんだ道化師に思えた。
自分で職を探し、家を探す。今回の危機の中、失業したブラジル人は否応なく日本社会に入らなければならなくなった。 個々人が努力すると同時に、そのプロセスで互助・組織化を進め、その真摯な活動を通して日本社会の共感を広げていく。自分たちの問題はまず、自分たちで解決を目指し、その上で周囲のサポートを求めていく。それが私の夢想する新しいコミュニティーの姿である。
三山喬(みやま・たかし)
フリージャーナリスト。元朝日新聞記者。2000年秋から07年初めまでリマに居住。ペルー新報を足場にペルーや南米各国の日系社会を取材。現在は日本でフリー活動をしている。著書に『日本から一番遠いニッポン・南米同胞百年目の消息』。47歳。