サンパウロ市イビラプエラ公園内の日本館が1954年の設立から60周年を迎えるにあたり、先月29日に同館で記念式典が行なわれた。梅田邦夫駐ブラジル日本国大使、在聖総領事館の福嶌教輝総領事、羽藤ジョージサンパウロ州議、野村アウレリオサンパウロ市議ら約100人が、還暦の節目を祝った。設立当時の竣工式にも出席した、茶道裏千家15代家元の千玄室大宗匠も、思い出の地を再訪。当地の茶道普及と共に歩んだ日本館60年の歴史に、感無量の声を挙げた。
サンパウロ市創立400周年に協力する形で立ち上げた「サンパウロ市400周年祭典日本人協力会」(山本喜誉司委員長)が日本館を建ててサンパウロ市に寄贈したが、文協が運営を任されている。
京都の桂離宮をモデルに、日本建築学界の大御所だった堀口捨己氏(すてみ、岐阜県、1895~1984年)が設計を担当した。今現在においても日本国外では稀有な本格的数寄屋造り。建設当時、木材や石材、玉砂利に至るまで、必要な資材を全て日本から取り寄せて建てられた〃純和製建築〃だ。
当日は両国国歌の斉唱後、文協の木多喜八郎会長があいさつし、「移民が築いたブラジルの歴史の一部である日本館。遺産として未来へ残すため、この式典が挙行されます」と宣言した。
梅田大使は「8月2日に日本館を視察した安倍晋三首相も移動中の車内で、その存在を高く評価していた」と伝えた。60年前の日本館竣工式では、千玄室さんと納屋嘉治さんが茶室開設記念に実演を行なった。日本館が茶道普及の第一歩となった経緯に触れ、「この場所から茶の湯の心をブラジルで育てて頂いた」と感謝した。
当時、千玄室さんは31歳。来伯10年後に家元を襲名し、今は91歳の大宗匠に。「60年という歳月が流れ、再び訪れることが出来た。この長い歴史を思うと感無量」と思いを馳せ、関係者に深く感謝を重ねた。「天地に感謝を捧げる茶の湯本来の精神を、ブラジルでも守って頂き、日本館は交流の場として次世代に受け継いで欲しい」と望んだ。
式典では、山本喜誉司氏、堀口捨己氏、自己負担でこれまで3度の改修工事を請け負った中島工務店(本社=岐阜県中津川市)の中島紀于社長ら26人の功労者を表彰し、感謝状を贈呈した。
結びに太田レオ運営委員長が「日伯交流の最たる象徴。建設当初と変わらぬ姿であり続けるのは、協力者の皆さんのおかげです」と感謝した。本紙の取材に中島社長は「堀口先生の代表作の一つを修復できて光栄、日本国内にいる先生のお弟子さんもみな喜んでいる」と語った。
60周年記念プラッカと芸術家の豊田豊さんによる記念碑も除幕。また式典に先立ち、開拓先没者慰霊碑前では、千玄室さんによる献茶式も行なわれた。