ホーム | 日系社会ニュース | 「日伯学校」校名復帰式典=タボン文協=増田弁護士の尽力に感謝

「日伯学校」校名復帰式典=タボン文協=増田弁護士の尽力に感謝

ニッケイ新聞 2009年5月15日付け

 タボン文化体育協会(光谷カルロス会長)、ピラジューサーラ文化協会(中村幸男会長)はタボン・ダ・セーラ市にある州立「フジオ・タチバナ小学校」の旧名「日伯学校」への改名を祝い、同校の共催で、二十三日午前十時から同校(ジャルジン・ジャマイカ区ネストール・ドス・サントス・リマ街182)で記念式典を開催する。
 タボン文協に隣接した同校舎の敷地は元来、文協の前身で一九三二年に設立された「タボン農會」が会館土地として購入した土地の一部。同校は、タボン農會が戦前同敷地内に設立したブラジル学校「2。Grupo Escolar do Taboao」が前身となる。
 同会は戦中戦後地元子弟の教育を続け、六七年当時の文協会長が州政府が校舎を建てることを条件に同校の敷地を寄付。七一年に当時のラウド・ナテル州知事が同地日系社会の貢献を称え「日伯小学校」と名付ける条例に署名した。
 その後、九六年に小林パウロ州議(当時)提案による州法令により「フジオ・タチバナ小学校」に改名された。
 校名を元の「日伯」に戻す運動は〇六年頃から始められ、タボン農會創立者の子孫や親族、弁護士の増田稔氏(元連邦下議)らが中心となって進めていた。
 昨年十二月十一日サンパウロ州議会の法令一三二五四号により名前の変更が決定し、旧名の「日伯小学校(Escola Estadual de 1。Grau Nipo Brasileira)」に戻された。
 一連の運動に関係した光谷会長、有明正一元タボン文協元会長、中村会長、宮路アリセ・元タボン文協婦人会会長が来社し、「特に、この運動に三年間取組んでくれた増田稔氏に感謝を述べたい。増田氏の尽力があったからこそ、旧名の復活が実現した。地元住民、会員らは名前が戻ったことに喜んでいる」と語った。