ニッケイ新聞 2009年5月14日付け
「アマゾン発展にいかに日本移民が貢献したかわかって欲しい」。汎アマゾニア日伯協会の生田勇治会長(62、山形県)は九日、ブラジル日本文化福祉協会(上原幸啓会長)の文化祭りの一環、サンパウロ新聞社主催のアマゾン写真展の開会式で講演し、九月に行われる同地入植八十周年の意義を説明した。来場者ら約七十人が熱心に聞きいった。
生田会長自身も一九五五年、七歳の時に家族で、フォードがゴム園を作ったことで有名なベルテーラに入植した。一年以内にアレンケールに移転し、家族がジュート栽培に従事し始めた。「四十キロのジュートを担いで運んだ」。二年後にベルテーラに戻り、サンタレーンで大学まで卒業するなど苦学を重ねた。
講演の中で、「いくら野菜や米の生産に成功しても、一般ブラジル人が消費する習慣が無く、商売として成り立たない時代があった」と日本移民の苦労の一端を振り返った。その他、「日本移民は熱帯特有の病害虫に苦しんだ」と病名を列挙、巡回診療ではかつて結核も見つかったことを振り返った。「漬物、フェイジョン、米だけで日本人はエンシャーダを振るっていた」。
その上で、「トメ・アスーの胡椒や高拓生によるジュート栽培の成功がアマゾンにも産業振興が可能だと言うことを証明し、全域に福音をもたらした」と強調した。
さらに、「これらを日本人が持ち込んでブラジル人に教え、地域全体の経済を押し上げた功績は多い」と結んだ。
一方、協力団体として挨拶にたったJICAサンパウロ市支所の千坂平通支所長は、「ドイツ人、アメリカ人もアマゾン開発に入ったが、失敗して帰っていった。日本人は生産を立派にやり遂げ、ブラジル政府から賛辞を受けていることは素晴らしい」と日本移民の貢献を総括した。同写真展は十七日まで。
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続いて同じ会場で、サンパウロ新聞主催のもう一つの写真展「日系女性百年の歴史―ブラジル百人の女性物語」の開幕式、単行本『ブラジルに渡った百人の女性の物語』(定価六十レアル)の刊行式も行われた。同写真展は九階で三十一日まで展示され、本も販売中。
同新聞社の鈴木雅夫編集局長は、まずフジ・フィルム・ド・ブジル社ら協力社や団体に賛辞を送り、「両写真展合計で二百七十枚もが展示されている」と記者の働きを賞賛した。
レアル銀行の清水オリジオ取締役は「台所のおかあさんの背中を見ながら育った。女性の歴史を聞き出すという難しい取材をやった」と評価し、上原幸啓百周年協会理事長が乾杯の音頭をとった。ニッケイ新聞の取材に対し、安永和教リンス慈善文化体育協会会長も妻・良子さんが百人の一人に選ばれ「光栄です」と嬉しそうに語った。