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日伯論談=『日伯論談』第2回=日本発=アンジェロ・イシ=デカセギは果たして「烏合の衆」なのか=在日ブラジル人の未来に寄せる期待

2009年5月9日付け

 ブラジルに住むみなさんはこのところ、日本に住むブラジル人(私は彼ら彼女らのことを在日ブラジル人と称し、早い段階から自分のことを「在日ブラジル人一世」と称している)について、よくも悪くも過剰な報道にさらされ、在日ブラジル人社会があたかも崩壊の一途を辿っているかのような印象を抱いているだろう。
 ついにアジア特派員の拠点を北京から東京に移した最大手のテレビ局グローボを筆頭に、マスメディアは住処を失って「ホームレス」になった家族などに重点を置いた、やや誇張された報道を繰り返している。
 このような報道ばかりを見聞きしていれば、前回の『日伯論談』の宮尾進さんのように、「デカセギ」に「批判的」になり、「烏合の衆」に例えたくなるのも、仕方がないのかもしれない。
 そもそも、このような偏った報道が始まったのはなにも今回の経済危機以降のことではなく、その証拠に、宮尾さんも「彼らの子弟に非行少年が増え、日本でも社会問題化していることを知らされて」きたことに言及している。
 しかし、宮尾さんの論考に違和感をおぼえてしまうのは、デカセギが日本で「社会問題化」してしまった理由を、あたかも「伝統的日本文化の良き特質」が希薄な若世代の日系ブラジル人の「自己責任」に押し付けてしまっている点である。日本社会でデカセギが「問題」になっているのであれば、日伯両国の政府や企業に責任はなかったか。
 また、三十万人以上の日系人をこれまで日本に送り込んでボロ儲けをしてきたリベルダージやベレンの人材派遣業者や旅行業者の「経営哲学」は、いかなる「伝統的日本文化」に基づいていたのだろうか。
 彼らを例外扱いしたり端数として軽視したりするのは容易いが、こういう存在を生んだのも、まぎれもなく、ブラジルの日系社会である。
 誤解を恐れずに言うならば、昨年を通してブラジルの日系社会が盛んに自賛した経済的成功は、日本で働く三十万人のおかげでもあったのだ。それは何も、頻繁に話題に挙げられる多額の送金のおかげだけではない。
 日系人の中で金回りに苦しんでいた層が日本に渡ることによって、ブラジル社会においては「失敗した日系人」が「不可視=インビジブル」になり、移民百周年を通しての「日系社会は成功者の集団である」という言説の説得力を担保したのである。
 百周年記念の式典において、サンボドロモ会場を十回も埋め尽くすことが可能な数の在日ブラジル人に思いを寄せる演出がなかったという点に注目したい。異国で頑張る仲間として誇られるはずの「デカセギ」たちは今もなお、成功した日系人がブラジル社会からその存在を隠したい、貧しい故に「誇らしくない親戚」に匹敵するのではなかろうか。
 むろん、本稿は宮尾論文に対する反論ではあっても、宮尾さんへの批判ではない。また、私は誰よりも早くから、在日ブラジル人の歩みを(温かい視線で)見守ってきたことを自負してはいるものの、三十万人を代弁する資格があるとは思っていない。
 それでもなぜ、よりによって私にこの原稿執筆の声がかかってしまったのか。在日ブラジル人社会に、私のように邦字紙を解読し、日本語投稿できるバイリンガル人材が圧倒的に不足している点こそが、この集団の最大の弱点ではあるまいか。
 しかし、これについては楽観できる材料がないわけではない。経済危機を受けて、ようやく日本語学習の必要性に目覚めた者は少なくない。また、在日ブラジル人の組織化が急進している。今年の二月には、ついに「在日ブラジル人全国ネットワーク」が立ち上げられ、私も顧問という役職で、初代幹部に名を連ねている。
 しかし、名古屋市で毎年開かれる「エキスポ・ビジネス」の成功例が示すとおり、この組織化は今に始まったのではなく、数年前から進行していたことをついでに付け加えておこう。
 「烏合の衆」という言葉が生まれた時代においては、カラスはバカな鳥だと思われていたそうだが、今では鳥類の中でも最も知能が高く、相互の情報交換に長けていることが知られるという。
 「烏合の衆」に例えられたデカセギたちがどこまでその本領を発揮するのか。日本に永住することを選んだ私にとって、これは単なる学問的関心でもなければ、他人事でもない。

 アンジェロ・イシ

 武蔵大学社会学部准教授。サンパウロ市生まれ。90年に訪日し、移民やデカセギ社会の研究のかたわら、ジャーナリスト活動を行なう。『ブラジルを知るための55章』などの著書がある。