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徳島の芸能 サンパウロ市で満喫=人形浄瑠璃平成座が公演=レプレーザ阿波踊りも花添え

ニッケイ新聞 2009年5月7日付け

 徳島の芸能をサンパウロ市で――。阿波人形浄瑠璃の「平成座」(藤本友幸座長)が日本の連休を利用して初のブラジル公演を行なった。憩の園、サントス厚生ホームなどの福祉施設ではそれぞれ百二十人あまり、三日午後にはサンパウロ市の徳島県人会館で公演し、四百年以上続く伝統の芸を一目見ようと四百人近い人たちが足を運んだ。ブラジル側もレプレーザ連阿波踊りが花を添え、〃徳島三昧〃の一日を満喫した。

 十六世紀末に淡路で始まったとされる人形浄瑠璃。徳島では阿波藩主蜂須賀家の庇護を受け発展。各地に常設の農村舞台が作られ、庶民の娯楽として親しまれてきた。
 同公演は昨年十一月、訪日した原田昇県人会長が平成座創立二十周年公演を訪れた際に呼びかけ実現したもの。今回は平成座から藤本座長はじめ十人、公演実現に尽力した徳島ブラジル友好協会(林啓介会長)から尾形光俊副会長など十人が訪れた。
 各メンバーとも自費で参加したこのたびのブラジル公演。藤本座長は実現に尽力した尾形、原田両氏ら関係者へ謝意を表わすとともに、「初めての海外公演に向けて一生懸命に練習してきました」とあいさつ。「移民百一年目に新しい草の根の文化交流が実現できた」と喜びを表わした。
 飯泉嘉門知事からの親書も代読され、知事はさらなるブラジルとの交流へ意欲を見せた。
 その後は今回のため県内の老人会や座員らが作った折鶴や記念品が会長に手渡され、公演へ。
 この日の演目「傾城阿波の鳴門八段目~巡礼歌の段~」は人形浄瑠璃の定番で、上演前にポルトガル語であらすじの説明も行なわれた。
 主家のお家騒動に絡んで国を出て、盗賊に身をやつして大阪で暮らす十郎兵衛とお弓の夫婦。そのお弓のもとへ、三歳の時祖母に預けた娘、お鶴が父母を探す巡礼の途上で立ち寄る。
 身の上を聞くうちに娘と気づくが、素性を明かせば娘も罪に問われる。藤本座長の義太夫節と三味線の音に合わせ、それぞれ三人の人形遣いが母親の切ない心情と、両親の面影を探す娘の悲しみを表現していく。
 名乗り出ぬまま娘の髪を整え、最後には抱き寄せるお弓。次第に会場は静けさに包まれ、二十五分の公演が終わると満場の拍手へと変わった。
 公演後は藤本座長により、人形の動きなどの説明も行なわれ、来場者は動かし方の説明に聞き入っていた。
 その後は訪伯団メンバーによる日本舞踊や詩吟も披露され、来場者も一緒に「花火音頭」を踊るなど賑わった。
 会場を訪れた多田邦治さん(64)は徳島県出身。「祖母から毎晩この話を聞いていたので、台詞は皆覚えていますよ。なつかしいですね」
 「日本で見たことがあります」という山下譲二文協副会長は、「百周年以降こうした文化交流が続くか懸念がありましたが、こんな立派な公演が来て良かった。文化の継承には、やはり本場のものが来ることが必要。文協としても考えていかないと」と話す。
 「人形浄瑠璃を見るのは高校卒業以来」という瀬尾陽子さん(70、徳島出身)は、「日本でもめったに見られないもの。感激しました」と話していた。
 最後はレプレーザ連の阿波踊りも出演、舞台から会場を踊り歩いて盛り上げ、最後は「ふるさと」を合唱してにぎやかに公演を終了した。
 一九五三年から六四年までブラジルで暮らしていた尾形さん(79)は帰国後、今回で二十四回目の来伯。「初めての公演は我々としてもうれしい。こちらの人はもっと喜んでくれた」と笑顔。「ブラジルは大事な所。これからも交流を盛んにしないといけない。切れたら駄目」と話す。
 無事に公演を終え、「四百人も来てくれ、感謝感激」と安堵の表情を見せる原田会長。「人形の動きや語りを見てもらえ、ありがたい」と話し、「次は本格的な阿波踊りを呼べたら」とさらなる交流に期待をあらわしていた。