ニッケイ新聞 2009年4月23日付け
造形作家豊田豊さんの回顧展「A leveza da Flor」が十四日、サンパウロ市のブラジル彫刻美術館(ヨーロッパ通り218)ではじまり、多くの関係者でにぎわった。
一九五七年に渡伯、以来半世紀あまりにわたって製作活動に携わってきた豊田さん。展示会には絵画や彫刻をはじめ、同氏が日伯両国で手がけた数々のモニュメントの写真や模型も展示された。
展示絵画の一つで、自宅を描いた「秋」は、十五歳の時出身地山形県のサロンの一等賞に選ばれた作品。当時は「デザイナーを目指そうか」と考えていた豊田さんだったが、美術学校での勉強を勧める教師の言葉を聞き、東京芸術大学に進学して絵画の世界へ。
ブラジルへ渡るきっかけは、卒業後に静岡県の工業試験場で働いていた時。指導や試験を担当していた県内の家具会社がブラジル進出を決めたことだった。
当初「一年のつもり」だったが、「ブラジルが好きになりましてね。こんなに大きな国はない」と帰国後に退職。退職金で再び海を渡ったという。
その後もブラジルを拠点にイタリアやアルゼンチン、コロンビアなどで製作活動にあたった豊田さん。日本で四十あまり、ブラジルでも二十のモニュメントを手がけ、中でも昨年の百周年だけで六都市に十三点の作品を完成させた。
今年で渡伯五十二年。初めてとなる回顧展の会場で「こんなにあったかな、という気持ち。自分でもびっくりしましたよ」と笑顔を見せる。作品のほか、新聞記事や個展のカタログ、またモニュメントの設計図なども展示され、来場者の関心を集めていた。
十四日夜の開会式には、同展キュレーターのジャコブ・クリントヴィッツ氏、武田幸子副領事、内山直明・国際交流基金サンパウロ所長などが来賓として出席した。
武田副領事は「アートを通じた日伯の架け橋」と豊田さんの作家活動を称え、「今回の展示会を通じてより多くの人に知ってほしい」と祝辞。
豊田さんは協力者、来場者への感謝とともに、「ブラジルに来た五十年前から現在まで、宇宙空間をテーマに仕事をしてきた」と自身の製作活動を振り返り、「皆さんに見てもらえたら幸せです」と語った。
当日は、七つの百周年モニュメントを手がけたレジストロから、市内公立学校の生徒四十人あまりがバスで訪れ、興味深そうに作品を見つめ、また豊田さんにサインを求める姿も見られた。
市長補佐官として同地の百周年に関わってきた近岡マノエルさんは、今回の展示会で豊田さんから作品を贈られたという。「レジストロのモニュメントもこんな立派な場所で紹介され、市民として喜ばしく思う」と話していた。
五月十六日まで開催。開場時間は午前十時から午後七時、月曜休館。同館電話=11・2594・2601。