ニッケイ新聞 2009年3月20日付け
〇八年後半の市警長期ストや元局長補佐を巡る贈収賄摘発などで、管理責任を問われていたロナウド・アウグスト・ブレッタス・マルザガンサンパウロ州保安局長が十八日に辞任し、後任は刑務所管理局長のアントニオ・フェレイラ・ピント氏と十九日付け伯字紙が報じた。
マルザガン前局長については、市警スト時にも罷免の声が上がったが、セーラサンパウロ州知事は「今解任すれば市警は自分達の要求が通ったと考える」として、罷免を見送ったという経緯がある。
市警ストは軍警との衝突事件にまで発展したことは〇八年十月十八日本紙既報だが、前長官を最近悩ませていたのは、右腕として全幅の信頼を寄せていたラウロ・マリェイロス・ネット元局長補佐絡みの贈収賄事件。
三月には、ネット氏と共に働いていた弁護士のセルソ・ヴァレンテ氏が、市警更迭問題などを金で解決できると話している模様が録画されたDVDの存在が報道され、疑惑解明への圧力が急速に高まってきていた。
また、先日も、役職軍警が、ペルエイロから金を徴収していたとして逮捕される事態も発生。
さらに遡れば、麻薬密売者アバジアを巡り、市警幹部が一〇〇万レアル以上を強請った事件や、スロット・マシン賭博で軍警が賄賂を受取っていたなど、警官と金を巡る問題は引きもきらない。
さらに、〇八年一月のジョゼ・エルミニオ・ロドリゲス軍警大佐殺害に絡む一八大隊の殺人集団や、〇八年に少なくとも一一人を殺害し、五人の遺体を切断放置した三七大隊の殺人集団などの不祥事摘発も続いていた。
もちろん、任期中に犯罪発生件数減少などの成果もあったが、サンパウロ州交通局の免許疑惑も含め、度重なる問題摘発や報道攻勢が辞任を早めた様だ。
一方、後任のピント氏はバーラ・ブランコ警察学校出。軍警、州検察局などで活躍し、九二年に一一一人殺害事件の起きた刑務所への軍警突入も指揮。刑務所管理局長就任後、〇六年には九一件あった暴動が、〇件(〇七年)と三件(〇八年)に激減という人材だ。
問題山積みの保安局にはスキャンダル捜査の経験もあるピント氏が適任と考えたセーラ知事。後任の刑務所管理局長は局長補佐のロウリヴァウ・ゴメス氏が指名された。