ニッケイ新聞 2009年3月10日付け
サンタカタリーナ州都フロリアノーポリスに二百六年前に到来した若宮丸の日本人四人について調べる研究会「若宮丸研究グループ」(仮称)が昨年十一月に発足し、以来地道に集まって『環海異聞』などの資料の読み合わせを行うなど研鑚を深めている。代表は中山ルイスさん(ニッポ・カタリネンセ協会文化部)とパウロ・バウタザさんの二人。
大原ジニス葉子さん(32、鹿児島県出身)によれば、昨年十一月の同地でニッポ・カタリネンセ協会が主催して行っている日本祭りで、若宮丸の四人に関する討論会が行われ、それがきっかけとなり十人ほどで発足した。
二十代から五十代の日系・非日系を問わず、駐在員やジャーナリスト、学生などが今までに不定期に三回ほど集まって情報交換をしている。
若宮丸とは、一七九三年に江戸に向かう途中で難破した陸奥国石巻の漁船のこと。乗組員十六人は七カ月漂流の後、ロシア領オンデレッケ島に漂着。一八〇三年にペテルブルグに移った津太夫、儀兵衛、左平、太十郎の四人は、世界一周する軍艦に乗船。大西洋で嵐に遭い、破損した船団は同年十二月に同地に入港し、約七十日間滞在した。図らずも初めて世界一周した日本人になった四人は帰国後、その間の記録を口述し、仙台藩主の命により、蘭学者の大槻玄沢が『環海異聞』にまとめた。
「フロリアノーポリスのどこに停泊したのか突き止めたい」と大原さん。それが判明したら、市に依頼して記念碑を建立するなどの動きにつなげたいとしている。
さらに、日本側の石巻若宮丸漂流民の会(木村成忠会長)とも連絡をとり、情報交換をしたり、資料を送ってもらったりしている。この会は二〇〇一年十二月に発足し、若宮丸の歴史的な意義を模索しているという。
研究会発足の動きは、今年一月四日付け三陸河北新報社でも報じられ、その中で木村会長は「若宮丸の持つ壮大なドラマの魅力が、国内ばかりか国外の人たちをも引き付けている。ブラジルにもぜひ行きたい。若宮丸を通じて国際交流を深めたい」とコメント。
大原さんは「将来的に日本から来てもらって交流を深めたりできれば」と夢は広がる。