ニッケイ新聞 2009年2月10日付け
【ミランドポリス発】五日に着聖した劇団笠戸丸(山南純平団長)の十七人は、そのままバスに乗り込んで六百キロメートルをひた走り、夕刻、ミランドポリス市の弓場農場に到着。弓場農場員、第一アリアンサ青年団(弓場凛太郎団長=リンタロウ)の歓迎を受けて、七日、ブラジル初公演となる「ボクノフルサト。」を六百人以上の前で演じ大成功を収めた。
五日到着後、弓場農場員によるバレエ公演で歓迎を受けて、圧倒された様子の一行。大食堂で行われた第一アリアンサ青年団主催の交流会では、ブラジル国旗をデザインした青年団手作りのナップサックがプレゼントされるなど、賑やかに交流の時を持ち、親交を深めたようだ。
舞台仕込み、演出家の山南団長のもと入念な稽古がされ迎えた当日七日、青年団と弓場農場員による観客席(六百五十席)作りがされ、夕刻からは名物となっている売店で焼きそばや焼きおにぎり、弓場特製の味噌やジャムなど土産品が販売されて、開演前の雰囲気を盛り立てた。
六百人以上が集まり超満員のテアトロ・ユバで午後八時十五分、弓場凛太郎青年団長、後援のミランドポリス市長に続いて劇団員のあいさつの後、「ボクノフルサト。」(一幕二場)のブラジル初公演が幕を開けた。
舞台中央には和太鼓、両脇に竹の鳴り物をしつらえ、バックには日輪と鯉のぼりの装置。平均年齢二十二歳前後の若者ら(演出家、音響係を除いた十五人)によって華やかなオープニングだ。
突如、この開演時刻に合わせたかのように激しい雨が降り出したが、タイツの上に赤、緑、紫色の艶やかな着物姿の出演者が、下駄で踊るタップダンス〃ゲタップ〃でリズミカルに賑やかに観客を圧倒。雨も、その熱気に気圧されたのか、いつしか上がっていた。
物語は熊本県出身の「上塚周平」の半生を同じ熊本県人の劇団員らが演じる。一九〇八年四月二十八日、笠戸丸が第一回の移民七百八十一人を乗せ神戸港を出港し、上塚が現プロミッソンで亡くなるまでを描く。
物語の進行は、祖母と孫がポルトガル語、日本語を交えて展開していく。幼い子供がマラリヤで死ぬ場面では劇場内は静まりかえり、劇後半で苦労の末に「ボクタチのフルサトがここに出来た。ありがとうございました」と上塚が絶叫するシーンでは、観客は我が事のように喜び、安堵の波が劇場内を包んだ。
エンディングは歓声と口笛が飛び交い拍手の渦の中、演者、観客が一体化してブラジル初公演は成功の内に幕を閉じた。
今回訪れた団員らは外国公演は皆初めてとのこと、緊張とプレッシャーに加え長旅の疲れもあっただろうが、公演後に大食堂で行われた懇談会は熱気に包まれ、深夜にまで及んだ。
翌八日早朝、一行は次の公演地プロミッソンへと旅立っていった。(矢崎正勝さん通信)
◎
劇団笠戸丸「ボクノフルサト。」公演はプロミッソン(十日)、ピラール・ド・スル(十三日)、文協小講堂(十五日)でそれぞれ開催される。
訂正
十日付け本面「劇団笠戸丸『ボクノフルサト。』公演」の記事中、十五日のサンパウロ市公演会場が「文協大講堂」とあるのは「文協小講堂」の誤り。訂正します。