ニッケイ新聞 2009年2月5日付け
【静岡県発=池田泰久通信員】「このまま加害者の引き渡しを求め続けるべきか。それとも代理処罰裁判を申請するべきか。半々の気持ち」――。〇五年十月、静岡県湖西市内の交差点で起きた日系ブラジル人女性(フジモト・パトリシア容疑者=国際指名手配中)が運転する軽乗用車との衝突事故で、当時二歳の娘を亡くした山岡宏明・理恵夫妻(同市在住)が一月二十五日、浜松市内で取材に応じ、現在の複雑な胸の内をこう明かした。事故発生から丸三年が経過。「事故そのものが風化されつつある」と危機感を示したうえで、「今後どう活動していけばよいのか分からない」と苦悩している。
事故後、夫妻は地元国会議員や知人の協力を得て「ブラジル人犯罪被害者の会」やNPO団体「国外逃亡犯罪被害者をサポートする会」を結成。これまで主に両国間での犯罪人引き渡し条約締結と代理処罰制度の確立を求めてきた。〇六年には七十万人もの署名を日本外務省に提出。昨年の移民百周年の節目にあわせて具体的な進展を期待したが、「日伯友好の話だけだった」(宏明さん)と肩を落とす。
ブラジル憲法上、たとえ犯罪者であっても自国民の他国への引き渡しが禁止されている。だが夫妻は、ブラジル人労働者が多い日本での「特例」を期待し、引き渡し条約締結を強く訴えてきた。
日本政府の要請に基づくブラジルでの国外犯処罰裁判は、これまで殺人やひき逃げ事件など、五件ほどが進行中とされている。夫妻の事件に関しても、国外犯処罰の申請に必要なポ語の捜査書類はすでに用意されているという。しかし「日本で起こした事故は日本の法律で裁かれるべき」(理恵さん)として、これまで自身のケースでは国外犯処罰を望んでこなかった。
その一方で、このまま長期化すれば、事故の目撃者の記憶も薄れ、事故の存在も世間から忘れられるとの気持ちも芽生え始めた。「日本より刑が軽くなったとしても、容疑者をこのまま無処罰にしておくならば、国外犯処罰を要請することも考えた方がいいかもしれない」(宏明さん)。
昨年末、宏明さんはある関係者から、警察と外務省主導で、夫妻の事件がすでに国外犯処罰の手続き準備に入っているという話を伝え聞いたが、正式な連絡はないという。
「国外犯処罰には被害者側の意思確認が必要なはず。もし私たちに連絡もなく勝手に手続きが始まったらやっぱり困る」と、二人は困惑した表情を浮かべる。
事件から三年が経過し、夫妻の心境も変化した。妻の理恵さんは、事故直後「ブラジル人はみな日本から出ていってほしいと思っていた」と振り返る。だが次第に「彼らが日本で悪いことをしないようにすることが大事」と考えるようになった。今では週一回、公立学校に通うブラジル人子弟に日本語を教えるボランティアをしている。
宏明さんも当初、報道を通じてブラジルにいる加害者側が無実を主張していることを知ったとき、「怒りを通り越して言葉にならなかった」。しかし今では「私たちの活動に協力してくれたブラジル人も多かった。職場にも日系ブラジル人がいる。彼ら全員が悪いわけではない」と理解を示す。
宏明さんは、「加害者への怒りの気持ちは減った。今さらあちらから私たちへ何かをしてほしいと期待するのは無駄に感じるようになった」と淡々と言う。理恵さんは「自分がしたことは必ず自分に返ってくることもわかってほしい」と小さくつぶやき、複雑な表情を浮かべた。