ニッケイ新聞 2009年1月31日付け
グローボ・オンラインやBBCブラジルまで、金融危機の荒波を受けたデカセギの悲観的動向を報道するようになった。
二十九日付けグローボ・オンラインは「日本の危機は三月までに七万人の失業を呼ぶはず」との見出しで、サンパウロ州聖南西のピエダーデ市の様子を伝えた。同市からは今までに二千人以上の日系人がデカセギに向かったが、「日本で失業して少なくとも五百人が帰ってきている」と報じる。
十六歳の時に訪日して長野県上田市で働いていたフェルナンド・サイトウさん(24)は、職を失い、昨年末に同市に戻った。「ここ十年ぐらいはベトナム、中国、マレーシアからの賃金の安い研修生が入って、僕らの給料も下がる一方だったが、危機で解雇が始まった」と振り返る。
また、三度目の訪日就労していたペドロ・コバヤシさん(65)も昨年末、契約期限が終わる前に同市に戻ってきた。「二百人のブラジル人が同じ工場で働いていたが、ここ数カ月で百二十人が職を失った」。
危機前は毎月三十人を派遣していた「MYSヴィアージェン・エ・ツリズモ」社を経営するマウロ・マモル・ヤナギヤさんは、「今じゃ一人も送っていない。危機の国にどうやって送るっていうんだ?」と逆に聞き返す。
ヤナギヤさんは「デカセギ」が一時的労働者から、永住志向の労働移民に質的に変化してきていたことを説明し、「移民になった人たちは帰伯時に苦労する」と警告する。「彼ら(移民)は帰ってきても、暴力と低給に我慢できない。私の知っている人は、失業して一月十二日に戻ってきたばかりなのに、もう求職相談にきている」。
一方、BBCブラジル三十日付けは「危機でデカセギは低給に甘んじる」との見出しで、工場労働から農作業に仕事を変えたサダオ・ハラさん(34)を紹介している。在日八年、「妻子を養うのに日本の畑でほうれん草を摘むようになるとは想像もしていなかった」という。
かつては工場で月三千五百ドルを稼いでいたが、今は埼玉県北部で農作業に従事し、千百ドルがやっとだ。ぎりぎりの生活費しか稼げないが「仕方ない」と諦める。
麻州クイアバ出身のワギネル・タテヒラさん(30)は、今では静岡県浜松市の山間部にある農協で林業の職を得た。少なくとも妻子を養うことができると、職を見つけたことに満足している。これから自動ノコギリ機に熟達しなければならないが、「やらなきゃ、ほかに選択肢はない」と意気込む。
危機で困難な状況にある同胞を救うために設立された「ブラジルふれあい会」理事長の座波カルロスさん(45)は「景気が良くなれば、また日本人は我々に扉を開くだろう」と楽観している。