ニッケイ新聞 2009年1月21日付け
勝ち組家族が終戦直後に日本に帰国した連載に関して、興味深い反応が届いている。池田収一さんが帰国したのと同じ一九五二年に、逆に渡伯した永田久さん(ブラジル力行会会長)は、「シンガポールの港で、ブラジルから来た勝ち組家族七十人ぐらいと会いました。当時は毎月オランダ船が出ていました。一隻の船でそれだけ乗っていたということは、戦争直後だけで一千人以上が帰国したのではないでしょうか」と推測する▼人文研年表によれば、前年の一九五一年三月には「オランダ船サダチネ号で戦勝組百七十名サントス港を発って永久帰国の途に着く。帰国団長格は永野勘太郎(彼は間もなく帰伯)」とある。この五一年から、戦後移住が開始した五三年ごろまでの二年間、毎月平均百人が帰国したと仮定すれば、二千人以上が帰った可能性すらある。隠されたコロニア史の一部だ▼加えて、永田さんは「それだけの人数、いったい誰が切符を手配していたんでしょうな」と興味深い疑問を呈する。帰国者相手にいろいろな商売をしていた人もいたはずだ▼同年表十月には「国民前衛隊帰国サギ団の残党をサンパウロ市で一斉逮捕」などとある。可哀想なことに詐欺の被害者は帰国した家族であり、祖国に戻って初めて、自分が騙されたと気付く。価値のなくなった円札を買って帰った人もいたかもしれない▼焦土と化した祖国日本からすぐに帰伯できた人は、経済的に恵まれていた場合だ。大半は日本に残った。彼らがどんな気持ちで変わり果てた祖国を見て、どんな人生を歩んだのか。今のところ、歴史には出てこない。でも、いつか聞いてみたいものだ。(深)