ニッケイ新聞 2009年1月7日付け
「もうこれ以上搗けないよ」。年末恒例の新潟県人会の餅つきが十二月二十九、三十日に行われ、計三百五十キロも搗(つ)いた。あまりの注文の多さに、冒頭のような嬉しい悲鳴が今年もサンパウロ市の同会館で聞かれた。朝七時から水を沸かして餅米をふかし、八時から搗き始めて午後五時近くまで、昼食以外ぶっとおしだ。三十人ちかい県人が入れ替わり立ち替わり搗き、こね、丸める。一臼一臼、人手で搗くから時間がかかる。その代わり、機械搗きと違った歯ごたえ、味わいがあると好評を呼んでいる。
「自分たちの分が足りなくなるぐらい注文が入るんです」と柿嶋昭三会長(80)は喜ぶ。遠くはピエダーデ、モジなどからも手伝いに県人が集まる。「みんな家庭のお正月の準備を犠牲にして駆けつけてくれる。本当にありがたい」。
サンパウロ市内のシダーデ・アデマール在住、両親が新潟県出身の大野昇二さん(北海道)も、八十歳の高齢ながら二日間とも搗き方を務めた。「柔道黒帯だから、こんなの大丈夫よ」と力こぶしを見せる。趣味でバイオリンを教えており文武両道だ。「希望者があれば教えますよ」。
南雲良治元会長も「あの細っこい身体で朝から晩まで搗いてんだから、すごい人だよ」と感嘆する。「みんなで一皿持ち寄って食べるご馳走(昼食)が楽しみ。餅搗きだけでなく、大事な親睦になっている」。
片栗粉で真っ白になった前掛けをしたヴァルゼン・グランデ・パウリスタ在住の西川忠雄元会長は、「なんせ餅米がいいからね」と顔をほころばせる。県立加茂農林高校(南雲元会長が同窓会支部長)の後輩、レジストロ在住の金子国栄さんが毎年欠かさず、同地の市場から持ってくる。
この餅つきは、池泉三郎さんが約二十五年前に始め、毎年行われてきた。柿嶋会長によれば、年間の運営費の三分の一はこれから捻出されるので、重要な行事だ。「搗き手がいない」などを理由に他県人会が次々に辞めていく中、文字通り〃粘り腰〃で続けてきた。
現在、母県では興味深い新制度を検討中だ。県費留学生・研修生が帰伯した直後の一年間、県人会の活動に参加すると、母県から補助金が与えられるというもの。餅つきは若い世代が中心になった方が良いのは、誰の目にも明らか。二世に活動を引き継ぐための試みとして期待が集まっている。
餅つきを準備してきた総務・渉外担当理事、婦人部の朝妻英子エレーナさん(69、二世)は「母の代から県人会を手伝ってきた」と活動を誇りに感じている。「難しいが、もっと若者が参加出来るようにしたい」という。
注文した餅を取りに来ていた藤本伝さん(つたえ、90、佐賀県)=ピリツーバ在住=は「一昨年から毎年頼んでます。搗きたてはやっぱり美味しい。楽しみに待っています」と語った。
例年は二日間だが、今年は注文が多いため大晦日三十一日にも特別に搗き、サントス厚生ホーム、援協スザノイッペーランジアホーム、憩の園にも無償で贈り届けた。柿嶋会長は「正月はやっぱり餅がないとね。みなさんに良い正月を送ってもらおうと思って」と笑顔を浮かべた。