アフリカへ出稼ぎ=夢と財産を求め新天地へ
ニッケイ新聞 2008年12月24日付け
ブラジル人出稼ぎ二百五十人が二十一日早朝、アンゴラのルアンダ空港に到着と二十二日付けヴァロール紙が報じた。これら出稼ぎは、大きな夢を抱いて新天地をアフリカに求めた。
アンゴラは三十年にわたる内戦で国土が荒れたが、建設の槌音が各所で聞こえ、復興期にある。いまは何かができる職人を求めている。同国は一九七五年、ポルトガルから独立。ポルトガルの執政官を始め、ポルトガル系市民も全部追放した。
アララクアラ出身のワギネル・リベイロ氏は、建築現場で防水作業に就職した。心配したような係争はなく、ブラジルより労働条件はよいという。三カ月で一万八千ドルを貯めた。
アンゴラにはオデブレヒトやカマルゴ・コレイア、ケイロス・ガルボン、アンドラーデ・グッチエレスなどのブラジルの大手ゼネコンが稼動し、ブラジルからきた出向社員が多勢いる。
他にアンゴラ人経営の下請け企業に、多数のブラジル人出稼ぎが就労している。またブラジル人が経営する、零細企業も少なくない。
往年の米国出稼ぎのアフリカ版といえそうだ。アンゴラばかりでなく内戦があった国々は、復興のために土木関係の職人需要が突出している。所持金の有無で、当局の点検は受けない。
六年前までは弾丸が飛び交っていたので、不法移民も合法移民も区別がなかった。だから移民の実態は分からない。大使館に届けた者は、七千五百人に過ぎない。大手企業の労働者として入国し、アフリカに永住したブラジル人は三万人以上と推定される。
最近は、養鶏場やコンテナー・ホテル(木賃宿)に就労したブラジル人が、ブラジルで一般化した鶏の丸焼きやサウガジニョなどのおつまみを配達して三千五百ドルの給料を得ている。アンゴラの青少年たちは機関銃の撃ち方は知っているが、仕事のやり方は知らない。