ニッケイ新聞 2008年12月20日付け
中南米カリブ首脳会議(CALC)では、ブラジルが地域リーダーになるための戦略を一歩進めたと十九日付けエスタード紙が報じた。同会議は、ルーラ大統領が閉幕の辞で述べた地域の米支配脱却を宣言するという米国に対するメッセージともいえる。同会議は、キューバのリオ・グループ参加や新国際機構「中南米カリブ連合」の設立方針を打ち出し、米国離れを明白に示した。
同会議の開催は、オバマ次期米大統領の就任一カ月前というタイミングを狙ったようだ。キューバ参加が、地域諸国から諸手で迎えられたことは、米国への示威行為でもあったらしい。
同会議への外交的根回しは一月、ルーラ大統領がハバナを訪問した直後から始まった。開催決定にこぎつけるまで、対米関係とキューバの経済制裁解除について水面下の駆け引きがあった。
同地域に、米州機構(OAS)とCALCの二つが出現する。OASは有名無実の平行的存在となる。CALC宣言にキューバのことは一切触れていないが、米国抜きも一つの特徴だ。〇九年会議では、OASとの関係が問われそうだ。
ブラジルは、域内でエクアドル問題を抱えている。エクアドル政府のモラトリアムは、パラグアイへ飛び火しそうだ。ブラジル陸軍はパラグアイ国境付近で、軍事演習パンパ作戦を威嚇のため実施予定をしていた。
外務省は近年、BRICs連合の組織化を図っていた。そのためブラジルは、イランを含むアジア諸国と接近を図った。ブラジルが目論む中南米とアラビア、アフリカ共営圏構想は、ブッシュ米大統領が目論んだブラジルとメキシコを従える米州共営圏構想に対抗するものであった。
ブラジル外交で懸念されたのは、先進国の縄張りに食い込むこと。ルーラ大統領は、ペテルブルグ(ロシア)やハイリゲンダム(ドイツ)、洞爺湖のG8サミットに招かれたが、いつも冷や飯を食わされた。
そこへ金融危機の発生で、ブラジルの外交努力は日の目を見る時がきた。G20が世界経済を論じる会議に招かれたからだ。予想外の危機発生は、ルーラ大統領にとって、むしろ追い風になったようだ。