ホーム | 日系社会ニュース | 亡父が活躍した地を見たい=レジストロ=リベイラ発電所技師の黒瀬氏=80年後、娘が足跡たどる旅=「常々ブラジルの話していた」

亡父が活躍した地を見たい=レジストロ=リベイラ発電所技師の黒瀬氏=80年後、娘が足跡たどる旅=「常々ブラジルの話していた」

ニッケイ新聞 2008年12月3日付け

 父が若い頃に活躍した地レジストロを、娘の京田三恵さん(60)=千葉県在住=が初来伯して訪問、ニッケイ新聞の記事が縁で父を知るレジストロの関係者にも会った。京田さんは「父親が生前常々話していたブラジルに来て、父親の足跡を辿ってみたい」との熱い想いを抱いてきた。
 京田さんの父・黒瀬泰さん(故人)は、日本で水力発電所建設の経験があり、海外興業株式会社、レジストロ事務所長の相原三介さんにリベイラ河に水力発電所を建設するプロジェクトに参加するように招かれて一九二八年、若狭丸の移民監督として渡伯、一時期レジストロに住んでいた。だが、資金難で水力発電所の建設は実現しなかった。
 今回二週間ほど滞伯した娘の京田さんは、八十年ほど前、父親が二十七歳から三十四歳まで過ごしたレジストロやジュキア方面を訪れた。
 十一月十四日朝、グアルーリョス空港に降りた京田さんは税関の手続きが終わるとタクシーでレジストロに向い、出迎えた地元の人々の案内で、一旦ホテルで旅装を解いた後で、移民史料館を見て回り、父親が水力発電所を建設しようとしていたリベイラ河を感慨深げに見入った。
 黒瀬さんはジュキア、セドロに元メキシコ公使とアルゼンチン公使を歴任した古谷重綱さんが開いた古谷バナナ園で働いたこともある。偶然、翌日のレジストロでの「辰年の集い」に遥々サンカルロスから駆けつけた重綱さんの甥、古谷綱雄さん、九十二歳とも夕食を共にし、時の立つのも忘れて語り合った。
 翌十五日の朝、京田さんは昔、京田さんの父、黒瀬さんが働いた古谷バナナ園や鉄道の線路や駅を訪れ、地元の人から歓迎を受けた。午後からは、京田さんもレジストロ文協で行われた「辰年の集い」に参加した。夕方、天谷さんの茶園やシャブラスのお茶工場を見学した。
 十六日午前八時、京田さんを始め総勢十五人で標高四百十六メートルの「ヴォトポッカ富士」を目指した。この山は七十数年前に黒瀬さんも登ったと彼自身の記録に記されている。午前十一時全員無事登頂。その中には少年時代その山に登り、来月八十七歳になる若者顔負けの松村昌和さんの元気な姿があった。
 十七日、京田さんは数々の思い出を胸に「ブラジルには日本の昔の良い習慣だけが残っているみたいです」と言ってレジストロを後にし、イグアスに旅立った。そして、アマゾン、リオを見物した後、サンパウロに数日滞在。二十七に帰国した。
 今回の滞在を振り返りながら京田さんは「かつての状況を垣間見ることができた。大変満足している。色々な人に迷惑はかけたかもしれないけれど」と笑顔で語り、「みなさんにお目にかかれて、父のブラジル好きが分った」と満面の笑みを浮かべた。(金子国栄さん通信)