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ヒガキ被告 謝罪意思を明確に=浜松・女子高生死亡ひき逃げ帰伯事件=「もう(裁判を)終わりにしたい」=本紙記者に心情を吐露=賠償金支払い方法に戸惑い

ニッケイ新聞 2008年11月26日付け

 「もう(裁判を)終わりにしたい」「できるならば落合さん(被害者)に謝りたい」――。一九九九年に静岡県浜松市内であったひき逃げ帰伯逃亡事件で、二十一日、業務上過失致死と救護義務違反の罪で、四年間の社会奉仕活動と三百万円相当の遺族への賠償金の支払い判決(同義務の不履行で四年の禁固刑)を受けた日系人ミルトン・ノボル・ヒガキ被告(33)。日本メディアからその控訴の意向が注目されるなか、記者を自宅に迎え入れた被告は、こう心境を吐露した。(池田泰久記者)
 二十四日午後七時。サンパウロ市ボスケ・ダ・サウージ区の住宅街。ごく普通の民家だった。ブザーを鳴らすと、玄関からブラジル人女性が現れた。
 女性はヒガキ被告の妻だった。「夫も私も動物が大好きなの」。飼い猫をやさしく抱き上げ、笑顔を見せる。自宅の横庭から大きな犬が吠えたと思うと、玄関から女の子が元気に飛び出してきた。
 ヒガキ被告の帰宅時間は午後十時ごろという。許可を得て自宅前で待たせてもらうことにした。あたりは段々暗くなり、人通りが減った。妻は「寒いでしょう」と言って記者を自宅内に招いた。
 白壁の居間にはテレビと三つのソファーがあった。仏壇のようなものもある。女の子は六歳。男の子は四歳。記者を遊び相手に無邪気にビニール製のボールを投げ合った。母親はミルクコーヒーを出してくれ、キッチンで子どもの学校生活などについて話した。
 日本食が好きというヒガキ夫妻。三人の夕食はうどんで、記者にも勧めてくれた。午後十時過ぎ、夫が自宅に帰ってきた。ソファーに座り、判決について話し始めた。
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 「判決を知ったのは金曜日(二十一日)。朝日新聞からの電話だった」。まだ弁護士から正式な判決文を受け取っておらず、「明日(二十五日)弁護士と話し合う予定」と説明した。記者は持参した判決文のコピーを手渡した。
 彼はソファーに浅く腰掛け、じっと判決文を読み続けた。社会奉仕活動や三年間の運転禁止などの要項についてはすぐに納得したようだった。ただ、被害者への賠償金となる百八十最低給料(約三百万円)の支払いの文言で表情が固まった。
 居合わせた妻はしばらく呆然と口を開けた後、「あなた払うの?控訴するよね!」と語気を強めた。被告は特に返答しなかった。
 「裁判官も私達の生活状況を調べてから判断してくれれば」と、彼はつぶやいた。賠償金の支払いは当然と受け止めていた。ただ、その金額と支払い方法に困惑していた。
 「日本とブラジルのお金や給料は違うよね」と言った後、「この金額は日本で働いていたら払えるけれど、今の状況では一度に払うのは難しい」と続けた。弁護士と相談し、分割払いを検討したいと言う。「少しずつでも払えるならば、(裁判を)終わりにしたい。でも駄目なら控訴を考える」。この金額が簡単に用意できるなら、もともとデカセギにも行っていなかっただろう。
 これまでの心境を尋ねると、「ずっと怖かった。いつ自宅に誰かがくるのかと不安だった」という。
 被害者家族については、「あれから私も結婚し子ども二人を持つ親になって、初めて娘を無くした落合さんの気持ちが想像できるようになった」と真面目な表情を浮かべた。「事故のことは永遠に心から忘れられない。あの日のことが夢に出てくる。夜、一人で深く考えて泣いたこともあった」。
 被害者に謝りたいと言う。「でも今日本に行ったらすぐに逮捕されるでしょう? 賠償金を払う中、日本への飛行機代を用意するのも大変。仕事を休むし、家族の生活費も考えなくてはいけない」。
 取材を終え、世間話になると、牛丼やラーメン、焼肉、刺身など、日本の食事を懐かしいと笑った。彼は率先して日本語を話し、時折ポ語を交えた。
 無邪気にはしゃぐ子どもを凛とした表情でしつけながらも、頭を撫でて可愛がっていたヒガキ被告。帰り際、記者にタクシーを手配し、一家揃って見送った。